2021-09-23

セクシュアリティアイデンティティ問題が「どうしてもそれでなければいけない」ものであるということは共通理解が得られているはずだが、なぜか「どうしてそれでなければいけないの?」と言われてしまうのは、セクシュアリティアイデンティティ問題として認識してもらえていないという差別構造の現れだろう。

まあ、一挙手一投足すべてにアイデンティティが宿るとまでは言わないし、譲れるところはあるはずなんだけどな。

「1歩譲ると100歩譲るまで引かないだろうな」と絶望されていることに危機感を持って欲しい。

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