まめに気づくのが恥ずかしい、恥ずかしくて結果自分の中でそれを揉み消して気づいていないことにする、みたいな動きをよくする。そういう非社交的思考由来のストッパーを日常であまりかけずに済む相手が、例えば私の友達と呼べる人なのかもしれない。
ただそのまめなるものが、果たして本当にまめであるのかの了解を得たことはないので、とんだ思い上がりをしている可能性も否めないのか。だとしたらそれはそれで恥ずかしい。いずれにせよ恥ずかしいのなら、いっそまめに気づいてみるのがいいのかな。
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