オリンピック開会式でゲーム音楽が使われたと喜ぶ人がいるのも分かるけど、個人的には単に「使われた」だけ、いちコンテンツとして消費されただけで、ありがたがるもんでもないなと思う。
使われた音楽のゲームがすごいと思えるところって、ゲーム会社が集団で制作を行なっているにも関わらず、最終的に一貫したゲームコンセプトが貫かれていること、それがプレイヤーとの相互関係の中で物語として完結すること。
オリンピック開会式にはこの一貫性、相互関係性がまったくないんだもん。一番大事なものが欠落しちゃってる流用。
Permalink | 記事への反応(1) | 05:53
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そうやっていうことは、その音楽それ自体のクオリティを無視しうる プレイヤーが多いゲームならばプレイの記憶を呼び起こすことで擬似感動させる このゲームを産んだのがこの国なの...
”プレイヤーが多いゲームならばプレイの記憶を呼び起こすことで擬似感動させる このゲームを産んだのがこの国なのだということを示すこともオリンピックにおいては意味を持つでし...
開会式の他のコンテンツ見ても日本スゲーしたいっていう内容でしかないでしょ 日本発のピクトグラムやら歌舞伎やら