生年は不明だが、ノストラダムスの存命中から、
「ミシェル・ド・ノストラダムス」という偽名を使ったり、
「ノストラダムスの弟子」を名乗ったりしつつ、
占星術の本を出版していた。
ノストラダムスとのあいだに血縁関係はなく、弟子であったという根拠もないが、
後世においても、しばしばノストラダムスの実子と混同されることとなった。
1574年、「ル・プザンの町が炎上する」と予言したあと、
それを現実にしようと放火していたところを捕らえられ、
「これからおまえにかかる災いを予言してみろ」と言われて「何も見えない」と答えた瞬間に、
その場にいた馬に腹を蹴られて亡くなったという。
Permalink | 記事への反応(0) | 15:51
ツイートシェア