僕が発した言葉は、時を置いて(或いはすぐにその場で)、自分自身へ向かう刃となって返ってくる
自分の言葉は他人の発したどんな言葉よりも、正確に、効果的に、僕の首へと振り下ろされる
発した動機が害意であろうとなかろうと
慎重に発したものだろうと不用意に発したものだろうと
全ては僕自身の首をいずれ断つ
自分の発した言葉に癒されることは無いのに、ひどいアンバランスではないか
生きて言葉を発するということは、だから、自分用のギロチンを延々と作り続けるような営みだ
恐ろしい
明日を生きるのが恐ろしい
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