2015-05-31

ある友人がいたが

斜に構えて強がる性質のせいか、トラブルに遭っても平気なふりをして助けも求めなかったために、表向き涼しい顔をしたまま転がり落ちて行った。

不遇をかこつ事になった時、世間呪い感性の衰えを自覚せず、斜に構えた決定論に溺れて行った。

個人個人変えられるものがあることを否定し、呪い言葉を振りまき、不幸になっていった。

もう彼は自分の可能性など信じてないのだろうし、自分の可能性を信じるということ自体が冷笑の対象なのだろう。

それは生きる力を自ら捨てたことだと思うのだが…。

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