今迄の我等が国は、情報における共有が、国民間の格差をある程度吸収する役割を負っていた。
行動力、時間、知識、それぞれ余力のあるものが散策し、成果を発表することで、自分に足りない要素をある程度互いに補い合うことが可能だった。
もし、相互の繋がりを分断し、各自の純粋な利益にしか余力を使わせないとなるならば、人々の不満は格差そのものへ直接向かうことになるのでは?
Permalink | 記事への反応(0) | 12:06
ツイートシェア