2012-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20120919204530

それが年間100万近く払うほどの価値があるのか

自分が払えるかどうか」、払う主体が設定されている

という根拠は何?

僕の頭にある日本語解析機では、この「払う」の主体は「俺」などのどこかの特定個人とは解釈されない。

ここの主体はそうだなあ、英語の we とか、ドイツ語の man に相当するものが補完される。どこかの特定の人物が払うことを想定しているのではない。

全体として「それに対するコストとして年間100万近くというのは妥当か」という意味になっていると思うよ。

 

車のサービスが『重いものを運べる』『疲れない』『急な雨に濡れない』に限定されているのかどうかという話

その問題については、「車はコストに見合うだけの便利さがある」と主張する側が追加でメリットを提示すればいいだけの話だ。

「便利だ」と主張する側が追加でメリットを提示できないなら、既出のもの価値を判断するのが道理。

  • 「自分が払えるかどうか」、払う主体が設定されている という根拠は何? 市場で決まった価格なら、年間100万の価値はあるに決まっている。その前提でまず主体はweが除外され、...

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