そんなものは気休めにもならない。
自殺した所で面白おかしく騒ぎ立てて終わるだけだ、
「殉死」という発想も昔はあったが現代では自殺は主張の道具には向かない。
私は絶望している。
そして私が消えても、何事も無く世界もツイッターもfacebookも回っていく、これまで同様、私のことはなかったままに。
いつか「あの人最近見ないよね、どうしたのかな」という言葉が出れば御の字というぐらいだ。
人はみな冷たい、当たり前の話だが私はリアルよりまだネットの人間のほうが表層がある分温かみがあると感じる。
リアルな人間は皆気持ち悪い、外敵だ。
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