アップルストア前で献花する人たちの写真をネットで見て、ジョブズ氏が創りだした商品の性質を改めて考えさせられた。
iPhoneやiPadは形状だけでなくそれに触れた時の手触りも徹底的に計算して造られているとか。
たしかに、ジョブズ氏の創りだしたものは、言語化できない部分に触れてくるエモーショナルな効果を重視した商品だった。
献花する人たちを見ていて思ったのは、そうしたエモーショナルな商品を購入し、支持する人は、それを作った人が亡くなると、きわめてエモーショナルな反応をするということだ。
こうして書いてみると、きわめて当たり前のことに思えてくるけれど、
日本の銀座で、おそらく故人にあったことの一度もない人たちがあのような行動を取るのを見ると、
エモーショナルなものを価値として徹底的に追求して売ることの帰結がどのようなものかを
まざまざと見せつけられたような気がして少し動揺した。
この動揺はなんなのだろう。
アーティストがやってることはまさしくそれじゃない? だからアーティストが死ねば同じようになる
http://anond.hatelabo.jp/20111006210628 本で読んだりしただけだけど、ジョン・レノンが亡くなったときもこんなだったのだろうかと、なぜかふと思ったよ。