孤独とは何でしょうか。
まったくできないとは言いませんが、しかしそのような機会はほぼ起こりません。
あるいは、『誰かの世界観を理解した』と思ったとしても、そのような理解が単なる誤解に過ぎなかった、ということは往々にして起こり得ることです。
しかし、このような孤独は本当の意味での孤独とはまた違ったものでしょう。
というのも、このような孤独は誰もが抱えているものですから、その意味合いが薄まってしまうのです。世界中の人々がダイヤモンドを持つのならば、ダイヤモンドの価値が低下するように。
それは二つあります。
孤独であるということを理解してくれる人間が一人でもいるのであれば、その孤独は何ほどのものでもありません。不完全な孤独です。
しかし逆に言うならば、孤独であるということを周囲の誰一人として理解してくれないのであるならば、それほどに深い孤独も無いということなのです。
そしてもう一つ。
『孤独であるということを、孤独である当の本人が理解していない』という孤独。
ある一人の人間が孤独である時に、周囲が彼の孤独を理解しようとも、その当の本人が自身の孤独を理解していない場合、本当の意味での孤独が訪れます。
たとえば、そのような自身の孤独に関して理解しない人間ほど、孤独を軽々しく扱う傾向があるのですが。「俺は孤独だ」などと臆面もなく言い放ったりします。彼にとって孤独というものは、付け外しのできるファッショナブルなアクセサリに過ぎません。
このような人間を見るにつけ、我々はその人間との断絶を感じます。孤絶を感じます。これがもう一つの孤独です。
自身が孤独であることを理解し、そして周囲の人間の孤独を理解することによってのみ、孤独は和らぐものです。
そのことを皆様お忘れなきよう。