そういうのは詭弁のガイドラインで言うところの
「ありえない仮定を持ち出す」って奴じゃない?
是非はともかく、今の日本の世の中はそういう仮定には添っていない。
むしろ、そういう非情なやり方のほうが、
人情が無い、人の心が無い、人で無し、と認定される風潮。
でもまぁ増田だし、取り敢えずその仮定通りになったとしよう。
例えば、知能指数で切ったとする。
いずれにせよ数値化しないと判定できないので今回は知能指数を使う)
総人類の平均は100で、ボーダーは85~70だと言われている。
で、俺等100組が70組を殺せるとしよう。そこまではいい。
じゃあ130組は?その理屈だと100組を殺す権利があるんじゃない?
「こいつらは俺等に似てるけど、違う生き物だ」ってね。
どっかで線を切って「ここから先は生きて良し、線の向こう側は死ね」って言うのはいい。
でも、自分が線の内側に入れると無条件に考えるのであれば、それは甘い。
「あいつらは殺せ、俺は殺すな。俺はあいつらと違う!」って主張しても、
そんなの誰も担保しない。だれも擁護する義務を持たない。明日は我が身だ。
そう成った時に重要なのは、あなたの正気を誰が保証するのかという事
現状の精神科医の診断がそのままとか なんなら定期健診に精神関係の項目足して陽性なら2,3回再検査くらいで足りると思うが
だったらそれは精神科医が罪と罰を規定する事になってしまうんだよ。 後はまぁ、ドクターにたっぷりプレゼントを用意したらいい。
それは人権の発生するタイミングとか条件の解釈次第なんじゃないかな 仮に人間足りえる知性と精神を持たないものは人間と認めないとすると 精神障害者は人間に似た生き物ということ...
そういうのは詭弁のガイドラインで言うところの 「ありえない仮定を持ち出す」って奴じゃない? 是非はともかく、今の日本の世の中はそういう仮定には添っていない。 むしろ、そ...