小学生の頃から学校の休み時間ではいつも机に突っ伏して独りで過ごし、授業中はただ何も考えず時が過ぎるのを待ってその日の授業が終わればクラスメイトが放課後友人達と話しているのを尻目にさっさと家に帰るために通学路を歩いて家では宿題も家事の手伝いも読書も全くせず椅子に座って時間が過ぎるのを待ち10時頃寝る。こういう生活が9年続いて今は中卒ニート。
何なのこれ?どうして俺は何もできないの?そもそも何で生きてるの?楽しいと思った事は余りないし死にたい。
今日は朝起きてお腹が空いたから魚肉ソーセージ3本食べてまた寝て今起きた所。その前の日は焦げた鮭を2きれ食べて寝た。その前の日はスパゲッティを茹でて焼きそばソースを掛けて食べてPCを起動してはてブと増田に粘着して寝た。その前の日はキャベツを切りすぎたのでそればっかり食べてた。その前の日はその前の日はその前の日はその前の日は
疑問が古典的。10年以上前からさんざんあるあるネタとしていわれ尽くしている。
「コンビニ弁当のハンバーグの下のスパゲッティ」のような言われ方で。
最初にそこに気がついてそこに疑問を持った奴は大したものだと思うけど、、、。
ただし答えはまだ出ていない。
http://anond.hatelabo.jp/20091016211552
上手くいえないけど、ぐっとくる話。
心がじんわり熱を持つんだけど、頭は酔いが醒めるみたいに血が下がる
なんかそんな気分になる。
恋愛が第一なんだったらもう少し効率的なやり方がある気がするが
釣られてやるか。
むしろ、こういうキチGUYじみた主観的な発言が、どれだけの人を傷つけているか、解らない奴は本当は無視してやるのが適当なんだけれど。
トラックバック先の文章を書いた奴が、男なのか、女なのかは関係ない。
レイプ、それは「暴行者による一方的な欲望や欲求を満たすために相手の本意や権利を無視した暴力行為」だ。
しかも直接的な暴力だ。
性行為を通じた享楽を目的として、しかも、それを信頼や、交渉や契約もなく、暴力をつかって強いているのは暴力だろ。
死刑と一緒にすんな、だと?
男性は全員、レイプしているだと?
されている方は気持ちいい、だと?
話を反らすなよ。
被害者となってしまった人間の基本的な権利や本意を無視した「暴力」、を、妊娠したか/しないかで、誰がOK出来るんだ?
それにOKなんてことは、ない。
それも技術の発展で成立したんであって・・・
できるだけ人に心配や迷惑をかけない人間になりたい
家庭に問題児がいたり原因のよくわからない病気になってあんまり働けなかったりして
とにかくハンデが多い。
だからハンデをカバーするくらいの能力を身につけたくて必死だ。
もしこの先好きな人ができた時に自分に自信がなくて踏み出せないなんてことのないように。
自分に自信を持ちたい。そのために何でも1人でできるしっかりとした人間になりたい。
ハンデを感じさせない人間になりたい。
今はまだ自信なんて持てない。だから恋愛よりも自分を育てることに専念してる。
でも日に日に年をとっていく。だからもっともっと頑張らないと老いてしまう。
もっと頑張れ自分。頑張れ。疲れたけど弱音はいてる時間はない。時間がないからもっと頑張れ。
…って思ってるけど疲れた。もう。これ以上頑張らなければいけないのか。
そうなんだけど私はそんなに出来た人間じゃない。でも駄目だ。頑張らないと。
恋愛面で明らかに不利なハンデが沢山あるんだから。
まずスタート地点に立つ為にはもっと頑張らないと。
これは私の個人的なビデオの使い方なのだけれど、
録画もDVDも見ることもできるから今のところブルーレイを買う予定もないし
最近はアニメが見たければCATVとかで垂れ流しだし、見たいのも待っていればすぐ始まる。
なので必要性は無いんだ
ビデオの劣化については 今のところ気にならない
嫌いじゃない。こういう文章。
DVDとブルーレイではまだはっきりとした商品価値の差が出ているって気はしないけど
お気の毒に…。
そんなこと考えるぐらい苛々してたのも。
その程度のことしか考えられない脳みそを持って生まれついちゃったからこそ、
苛々したぐらいで増田にそんなこと貼りつけて憂さ晴らしになると勘違いしてる感じも。
お大事にね。
「大人」という概念は間違いなく個人から独立した社会的な概念なのだけれど、「お母さん」や「お父さん」や「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」「おばあちゃん」「おじいちゃん」というのも同じなのかなあって思った。
いつの間にかそれを受け入れてしまうどうしようもない概念。
家の場合、母が祖母のことを「ばあちゃん」と呼んでいて、それが当たり前になっているのだけれど、いつから祖母は娘から「ばあちゃん」と呼ばれることを受容したのだろうとつい先日不思議に思った。
それで、母と話をしてみたら、あんたら子どもが生まれたときに誤解を与えないようそう呼ぶよう決めたんだと言われた。
なるほど、と納得したけれど、それでも何だかなあって感じてしまった。
祖母は母にとっては「お母さん」であるはずだったのに、その娘からすら「ばあちゃん」と呼ばれてしまっている現実。
仕方ないことなのかもしれないけれど、それが当たり前になっていることが淋しい。
名前は、所詮は記号かもしれないけれど、だからこそ大切なものなんだと思う。
祖母は母にとっては「お母さん」だったのだ。降り積もった言葉によって見えなくなったその名前が、いつか日の目を浴びたらいいなあって勝手に妄想してみたりする。
僕には好きな人が居て、その人はとても弱い人だった。
彼女はとにかく頻繁に泣いた。
「変わりたい」といっては泣き、「自分が不甲斐ない」と言ってはまた泣いた。
僕は彼女の涙に対してどうすることもできなかったし、なにかしようともしなかった。
ただ、彼女は泣いていても真剣に話をすることの出来る人だった。
だから僕も真摯に彼女に向き合って、その話に耳を傾けるようにしていた。
彼女のことを弱いと思っていたのは僕だけで、僕以外誰も彼女の涙を見たことがなかったと知ったのは随分後になってからのことだ。
少なくとも僕の知る彼女は常に自分の弱さに苦しみもがいていて、
ときどき思い出したようにうちに来ては、涙を流すのだった。
ひとしきり泣いた後、彼女は決まって凛とした顔つきになって、「よし。」というのだった。まるで新しい自分にスイッチを入れるみたいに。その瞬間の彼女の顔は今も僕の脳裏に焼き付いている。地獄の業火に焼かれようとも、あの美しさを忘れることはないだろう。
彼女が泣きやんだあとは、2人でくだらない話をしたりテレビを見たりゲームをしたりした。そうして終電の1本前の電車で必ず彼女は帰って行くのだった。
彼女が僕の前で最後に泣いたのはいつのことだったか僕は覚えていない。
彼女は急に泣きそうに微笑んで、君は強いよね、と小さくつぶやいた。
その声はまるですべてを拒絶しているかのように響いて、僕はそれ以上なにも聞くことが出来なかった。
僕と彼女が2人で居る時にお互いなにも喋らないということはよくあって、僕はその沈黙も決して嫌いではなかった。けれど、そのときの沈黙はいつもとは少し空気が違っているように感じられて、ひどく息苦しかったのを覚えている。
やがていつもの時間になって、彼女はそろそろ帰るね、といった。いつものように。
それからも彼女はときどき遊びにやって来た。やってくる頻度は随分減ったし、もう泣くことはないけれど。
最後に彼女に会ったとき、その左手には指輪があった。僕には与えることの出来なかった薬指の眩い輝き。それはきっと、そういうことなのだろう。
いつか彼女も母になって、それでも涙を流すのだろうか。だれよりも弱かったけれど、だれよりも強かった彼女のことを、僕は大好きだった。
むしろお前のやる気の無さが異常。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091016AT3L1607616102009.html
「このままじゃまずいと思う」じゃねーよwwwww