「大人」という概念は間違いなく個人から独立した社会的な概念なのだけれど、「お母さん」や「お父さん」や「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」「おばあちゃん」「おじいちゃん」というのも同じなのかなあって思った。
いつの間にかそれを受け入れてしまうどうしようもない概念。
家の場合、母が祖母のことを「ばあちゃん」と呼んでいて、それが当たり前になっているのだけれど、いつから祖母は娘から「ばあちゃん」と呼ばれることを受容したのだろうとつい先日不思議に思った。
それで、母と話をしてみたら、あんたら子どもが生まれたときに誤解を与えないようそう呼ぶよう決めたんだと言われた。
なるほど、と納得したけれど、それでも何だかなあって感じてしまった。
祖母は母にとっては「お母さん」であるはずだったのに、その娘からすら「ばあちゃん」と呼ばれてしまっている現実。
仕方ないことなのかもしれないけれど、それが当たり前になっていることが淋しい。
名前は、所詮は記号かもしれないけれど、だからこそ大切なものなんだと思う。
祖母は母にとっては「お母さん」だったのだ。降り積もった言葉によって見えなくなったその名前が、いつか日の目を浴びたらいいなあって勝手に妄想してみたりする。