恋人と別れた。理由は、恋人が私と付き合っている期間中、以前の恋人と関係を持ったことを受け入れられなかったから。発覚した時にちゃんと話し合ったのだが、1年以上経った今もずっともやもやしていた。私の考え方が古いのもあるだろう、あとそういうことに関して未熟だというのも。他の部分に関しては概ね不満は無いし、何も無かったら結婚も考えていたかもしれない。まぁつまり何が言いたいのか自分でもよく分からないのだけど吐き出したくなったということでひとつ。好きになったり付き合うと決めたときの話を増田に書いていた事を思い出したから、終わったときも書いておこうかと。そんな元恋人はお金ないと言いながらなぜか週末遊びに来るらしい。相変わらず読めない人だ。
経営学ってのは日本独自のカテゴライズだから経営分野っていう言い方をしたんだけど
マンキュー、スティグリッツ、中谷巌は実践主義者で行動経済学≒経営理論に重きを置いている著者ではないかと思います。
最近はその手で学術、科学的な一般経済学を経営者視点に置き換えた書籍が流行していますが、
厳密に「経済学」というのはマクロな視点で科学的や数理的なメカニズムを追ったものなので
今回のような文脈で用いられると違和感があることは間違いないです。
一つの事例を一般化する馬鹿がまだいたんだ
おつかれ、自分。
最初で最後。
二階建て新幹線の一階という位置も新鮮だ。
一階のせいか、夜のせいか、窓の外は真っ暗でガラスが鏡のようになっている。
全て終わったあきらめの顔っていうのは、力が抜けていい顔になるもんだな。
人生終わってしまったんだなっていう顔はこんな顔なんだな。
力はないけれど、いい微笑みだ。
心も静か。 こんな気持ちになるんだなあ。
大事なのは統合だ
戦略サファリ とかは、図書館に蔵書があるらしい!(しかも予約沢山、人気だね)のでいつか借りて読んでみる。楽しい議論をありがとう。
先日、お好み焼屋さんで注文を待っていると、
声の大きな一団が後ろのテーブルに陣取った。
話の中に量子とか素粒子という単語があったので物理学を専攻しているようだ。
声が大きいので、意図せずとも話の内容が聞こえてくる。
どうやら、彼らには彼らなりの苦労があるらしい。
不作法な彼らは不愉快ではあったが、
業界の裏話は興味深いものがあった。
しばらくして、学生の一人が友人が自殺未遂をしたという話を始めた。
こういう不況の中、そういう話もあるだろう。
だが、空気が異様に軽いのだ。
話している学生も笑いをとるようなしゃべり方をし、
聞いている方も、時にはげらげら笑い、好き勝手未遂者の人生を品評するのだ。
面倒なことになったなという態度。
「聞き手の学生」は友人の人間性に問題があるとか係わり合いになるなとか。
あったかい言葉の一つもないのだ。
そのうち、学生の一人が、
「死ぬ、死ぬいうやつは死なない」ということを言い出した。
確か、距離をとった時に死ぬかもしれないという意見に対してだったと思う。
そしたら教授が、
「いや、死ぬやつは死ぬ」
と反論したのだ。
なんでも、教授は昔、精神的に弱い人の家庭教師をしていたらしい。
弱い人が本当に参っていて、
「こんなことして何になるのか、死にたい」
と弱音を吐いたときに、
「そんな甘ったれたことじゃいかん」
とか、
「死ぬ死ぬいうやつに死んだ奴はいない」
と言ったらしい。
その翌日、弱い人は自殺したらしい。
「まぁ、性格的に、いつか死ぬだろうとは思っていたけど」
とのこと。
教授は非常にトークがうまく、この話を笑い話にまとめ上げた。
学生も笑いながらこの話を聞いていた。
死人に鞭打って笑いをとるような下種はいない。
おそらく、多くの人がそうなんじゃなかろうか?
以前、大学院の教師がクズみたいなエントリーを見た記憶がある。
なるほどなと思った。
こんな中で人間が育つわけがない。
そして、こういう下種の同類だけがその研究室で生き残って、
しゃれこわ読んでたらいきなり雷が鳴ってすごく怖かったです。
そういや、同じような店に入った事あるけど
(読書の他にパソコンの”持ち込み”禁止、とかもっと細かく書いてあった)
ふっつーの味だった。
店員もふつーにやる気なさそうな女性が二人でやってたなぁ。
店の作りは良かった。
妻が変わる方法ではなく、私が変わる方法を探しています。
って言いながら、
今回の件でも「普通にそう言えばいいじゃん?悪気はないんだから、それを指摘してあげればいいじゃん?」と思ってしまうのです。
本心は奥さんに変化を求めてるんじゃん?
まじめなはなし東大ってのはアドでかいよ。
とりあえず列挙すると
・入学後に進路の決定ができる
などなど
特に入学後に進路が決定できるってのは
明確な目標を持たずに大学に入ったような人にとっては非常にいい
よその大学だと大学に入った跡にそれに気づいた場合よほど早い時期じゃないと
再受験とかは翌年になってしまうからね。
東京にあるメリットはいうまでもなくもちろんすべての研究室が十分な予算があるってわけではないだろうが
すくなくとも地方の国立に行くよりは必要最低限の予算を確保できてるところは多いだろ。
メリットがないわけではないので腐らずこれからもがんばってください。
パートのおばちゃんがたくさんいそうな所にもぐりこむしかないと思います。
ちょっと古い記事だが。。
このコメント欄にチラチラ出てくる実力が無いヤツは堕ちて当たり前的な空気、なんとかならないかね。
たまたま運がよくて生活していけているだけなのに自分の実力だと思い込んでいる。バカばっかり。
国の役目ってなにかを理解していない。
http://anond.hatelabo.jp/20091012191613
職務経歴書を提出してくれって言われた。
んなもん出したくないよ。
そんなのだせっていう会社だと思わなくて
気楽に応募しちゃったんだけど、
狙う会社を間違ってるんだろうか。
もっと、履歴書いりません!判子だけ持ってきてください!
はぁー。
決まらないのは不況だから?
それとも私が無能だから?
貴方が推薦している書物はすべて経営分野のものなので誤解されているようでしたら訂正。
マンキューやスティグリッツや中谷巌は経営学の分野に入るのか?
ちなみに私の考えでは
これは「戦略サファリ」の言うところの「デザイン・スクール」または「プランニング・スクール」で、著者の言うように問題の多い(主に柔軟性の面で)考え方だと俺は思う。
最初からそう言ってくれればいいのに。
しかし逆説的だけど、「読んで得た内容」というのはほとんど意味無い。実務知識とか業務知識としては意味あるけど、それは今の話とはまた別だ。
世の中で金がどう流れていて、その中でビジネスや経済金融政策などの活動がどう位置づけられているのか、それらの活動が全体にどう影響を与え得るのか、自分はどこにいるのか。そういうことをイメージとして掴むことがまず大事だと思う。
そのためには、「読んで得た内容」を自分が既に持っている知識や経験と統合させて全体像を構築する必要がある。知識や経験が少なかったり、バランスが悪かったりすると、柔軟性が無く的を外した全体像になりやすい。
大事なのは統合だ。人間の脳みそが持ってる素晴らしい能力。全てはつながっていると理解することがまず必要なんじゃないかと思う。