先日、お好み焼屋さんで注文を待っていると、
声の大きな一団が後ろのテーブルに陣取った。
話の中に量子とか素粒子という単語があったので物理学を専攻しているようだ。
声が大きいので、意図せずとも話の内容が聞こえてくる。
どうやら、彼らには彼らなりの苦労があるらしい。
不作法な彼らは不愉快ではあったが、
業界の裏話は興味深いものがあった。
しばらくして、学生の一人が友人が自殺未遂をしたという話を始めた。
こういう不況の中、そういう話もあるだろう。
だが、空気が異様に軽いのだ。
話している学生も笑いをとるようなしゃべり方をし、
聞いている方も、時にはげらげら笑い、好き勝手未遂者の人生を品評するのだ。
面倒なことになったなという態度。
「聞き手の学生」は友人の人間性に問題があるとか係わり合いになるなとか。
あったかい言葉の一つもないのだ。
そのうち、学生の一人が、
「死ぬ、死ぬいうやつは死なない」ということを言い出した。
確か、距離をとった時に死ぬかもしれないという意見に対してだったと思う。
そしたら教授が、
「いや、死ぬやつは死ぬ」
と反論したのだ。
なんでも、教授は昔、精神的に弱い人の家庭教師をしていたらしい。
弱い人が本当に参っていて、
「こんなことして何になるのか、死にたい」
と弱音を吐いたときに、
「そんな甘ったれたことじゃいかん」
とか、
「死ぬ死ぬいうやつに死んだ奴はいない」
と言ったらしい。
その翌日、弱い人は自殺したらしい。
「まぁ、性格的に、いつか死ぬだろうとは思っていたけど」
とのこと。
教授は非常にトークがうまく、この話を笑い話にまとめ上げた。
学生も笑いながらこの話を聞いていた。
死人に鞭打って笑いをとるような下種はいない。
おそらく、多くの人がそうなんじゃなかろうか?
以前、大学院の教師がクズみたいなエントリーを見た記憶がある。
なるほどなと思った。
こんな中で人間が育つわけがない。
そして、こういう下種の同類だけがその研究室で生き残って、
一つの事例を一般化する馬鹿がまだいたんだ
お涙頂戴のドラマや映画で泣いてるよりも 笑い話にうまくもっていくその教授のほうが健全かも。