ちょっとここで聞いてみたくなったので、良かったら教えて欲しい。
良くきく話なんだが、毎日の通勤・通学の時間がほぼ決まっているの(つまり、何時何分の電車に乗るとか、何時何分に到着するとか)は当たり前のことなんですか?
自分にとっては、そんなの当たり前に無理だよ!と言いたくなる。自分としては9時半くらいに出勤するようにしているけれど、9時10分だったり10時くらいになったり、日によって変わってくる。毎朝起きる時間はだいたい同じだけど5分10分はズレがあって、そこから家を出るまでの時間だってその日の気分で変わってくる。そんなちょっとづつの時間の差が蓄積していくと、当然毎日同じ時間の電車に乗るなんてことはできない。そうすれば必然的に到着する時間も変わってくる。
しかし、最初にも書いたけれど毎日同じ時間の電車に乗ってるのをさも当たり前のように話す人が結構いるように思える。実際のところどれくらいソレが当たり前のことなのか知りたいので、ここに書いて見ました。
そうやって親切そうにして、暗がりに連れ込んでレイプする男もいるんだよ。
そんな被害に遭った子は「見知らぬ男にちょっとでも心を許したお前が悪い」って言われちゃうんだよ…。
理不尽だよね。
この前友だちとみんなで旅行に行ったとき、
車の中でCharlie ParkerやBill Evans Trioかけまくって盛り上がってたんだけど、
何か一人がジャミロクワイの角生えたやつ持ってきてて
「何これ?かけてみよう」ってことになった。
で、かけてみて、みんなで大笑い。
「やめろー!テンション下がるー!」
「まあ、おもしれーからかけておこうぜ」ってずっとかけてたんだけど
とにかく次の曲が出てくるたび、あまりのヘボさにみんな大爆笑。
そのジャミロクワイの角持って来てたやつは一人
居心地悪そうにひきつった笑いしてた。
で、ようやく次にClifford Brownかけたんだけど、もう最高に盛り上がった。
やっぱこれだよな??って思ったな。
「これ、窓から捨てていい!」って言ってまた大爆笑。
可哀想だからやめといたけど。
時代はかわるけど、古いのを知らずに新しいものを聴く理由はないと思うんだ。温故知新。
いわく「気分が悪い」そうで。
根回しが大事っていうのは、組織対組織とか組織間の協力みたいなことで、組織内の話であればもっとストレートに何かが伝わるものだと思ってました。
しかし現実は、根回しとか仲間とか外堀を埋めるとか、くだらないエゴと対面活動が重視されてる。
小さい組織や追い詰められた組織はそういうことを言ってる余裕は無いんだろうけど、いかんせん大きな組織で自分の周りのことで精一杯の人たちの集まりになると、とたんに自分の周りを守ることが至上命題になってしまって、前向きな話やバーズアイが持てなくなる。
そして往々にしてそういう組織は、全体としては外圧を受けていて、ほんとは危機的状況に陥る寸前でぎりぎり止まってる。いわゆる大企業病。
ま、そういうぎりぎりで止まるように自己修正機能が働くとか、ちょっと傾いても体力があるとかは大企業のいいところだけど。
それでも最近はけっこう簡単に大きな組織が消えて無くなる現実があるわけで。たとえば郵政公社とか社保庁だって無くなるだろうし、日興コーディアルだって吸収合併されたし、銀行なんて昔の何銀だか分からないものばかり。
それに対する危機感が薄いんだな。目の前しか見えないから。
話がずれたけど、僕が言いたいのはそういうことで。
生き残るテクニックとしての根回しは直近自分のためには必要なスキルだと思うけど、将来の日本社会には全く必要ないし、むしろ邪魔なものだと思う。
僕はそういうものと戦っていきたい。
ちょっとダンコーガイとは関係ないんだけど、最近、本当にできない人と、ただ甘えてだらだらして「できないから仕方ない! 社会が悪い! 保障しろ!」って騒ぐ人間との区別をどうやってつければいいんだろうと思うんだ。
そもそも、その2つを区別する必要があるのかも微妙だし。
でも、本当にできない人を「できないから仕方ない」と認めてしまうと、あまりできるわけでもないけど必死でがんばってる人がバカらしくなるだろうし、甘えてだらだらして社会に対して保障しろと騒ぐ人間はますます増えるだろうし。
どうしたらいいのかよくわからない。
泣き腫らした目を拭って君に会いに行く
俺には、アンチというものが理解できない。
俺は、どんなものでもできるだけ良い所と悪い所の両方を
見つけ出そうという気持ちでいつも生きている。
この人は嫌いだけど、責任感があっていいよね、とか。
何故そこまで嫌いなものに執着できるのがが良くわからず、
さらにその嫌いなものが好きな人まで嫌いになるという始末。
要するにレッテル貼り。
まあ、マスコミもずっとやってきたことなんだけどね。
とにかく、だ。
嫌いなものを嫌いだからという理由で完全否定する人が俺は嫌いだ。
そして、そんな人の良いところは、
ダンコーガイって、意識を変えれば全員マッチョになれると思ってる節があるよなぁ。
分裂氏の方はそうでもなさそうだけど。
こういう「成長しろ、さもなくば死ね」っていうのを見てると、小学校の頃の給食拷問を思い出す。
嫌いなものがあってどうしても食べられない時に食えるまでいつまで経っても許してもらえないアレ。
給食の時間が終わって、昼休みが終わって、掃除の時間が終わっても、
いつまでもそいつは机の上に食えない給食が広げられたまま取り残される。
苦境に置かれたって、考えなきゃいけない状況に置かれたって、凡人はただ折れるのみ。
そっから這い上がって成長できるのは真に才能がある奴だけ。
人間、どうやったって、できないものはできないんだよ。
この前友だちとみんなで旅行に行ったとき、
車の中でニトロや韻踏かけまくって盛り上がってたんだけど、
何か一人がキリコ?のお札っぽい奴を持ってきてて
「何これ?かけてみよう」ってことになった。
で、かけてみて、みんなで大笑い。
「やめろ??!テンション下がる??!」
「まあ、おもしれーからかけておこうぜ」ってずっとかけてたんだけど
とにかく次の曲が出てくるたび、あまりのヘボさにみんな大爆笑。
そのお札っぽいCD持って来てたやつは一人
居心地悪そうにひきつった笑いしてた。
で、ようやく次にSEEDAかけたんだけど、もう最高に盛り上がった。
やっぱこれだよな??って思ったな。
「これ、窓から捨てていい?」って言ってまた大爆笑。
可哀想だからやめといたけど。
「マッチョ」な人の言うことじゃないよなw
多分前回の記事に対する厳しい反応が予想外だったんだと思う。
そこでその記事を持って「dankogaiはみんなの注目を集めるために隙のある記事を書きますよ」って流れの中に今回の話題を取り込もうとしてるんじゃないかな。
通報されて経歴に傷がつく前に勉強できてよかったじゃないか。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51012727.html
自分は被差別でござい、という手法をとってくるとは思わなかったなあ。
気持ちはわからんでもないけど、戦略上あまり上手くないように見える
とある結婚相談所における男の入会条件に、
「世帯として生計を立てられるだけの年収のある方(400万円以上が目安)」
とある。
これについて元増田はどう思う?
http://anond.hatelabo.jp/20080304203235
それはさておきオイラとしては、個別の産業よりもそれをトータルパッケージにした産業に可能性がありそうな気がします。個々の産業の先進性よりも、成熟した技術を組み合わせてパッケージサービスにするソフト産業。
たとえば「クリーンエネルギーと細菌学とバイオマス」を組み合わせて「工業廃液で汚染された土地の再生・改良を請け負うトータルクリーンサービス」とか、それに宇宙ビジネスを組み合わせ「(地球外利用を想定した)トータルな人工環境構築技術」とか。「バイオ+ロボット+細菌+遺伝子工学+リサイクル」で絶滅危惧種の保存、棲息環境再生プロジェクトとか。
「再生医療とロボット工学とコンテンツ産業」を組み合わせてCMみたいなサイボーグサッカーを作る…とかまで行ったら恐ろしすぎるけど(笑)まあそんな感じ。個人的には、日本独自の宗教観(ヤオヨロズ…)とかを背景にした科学論とか、もっと出てきてもいいよなと思うんだけどその辺どうなんだろう。
最近、マッチョだ奪うだの生臭い話ばかりでうんざりの方もおられると思います。
404 Blog Not Found:それでも私は屠り続ける +書評+ いのちの食べかた
こんな話とか
なので、ここでちょっと清涼剤なお話を。
自分の地元の岡山にファジアーノ岡山というJリーグを目指すクラブがありますが
この社長さんがすごい!
こちらの記事を引用すると
スポーツナビ|サッカー|コラム|Jの付く場所を目指して(2/2) 全国地域リーグ決勝大会・1次ラウンドリポート
「一昨年が200万くらいの収入で、去年から(NPO法人から)会社を立ち上げて1200万くらい。今年はスポンサー企業が6社から180社まで増えて、それで9000万。とはいえ、今年の予算は1億2000万ですから大赤字ですよ」
そう語るのは、株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ代表取締役の木村正明さん、38歳。クラブを引き継いでから2年足らずで収入を45倍に伸ばし、プロ契約選手もゼロから9人にまで増やしたことを、まるで昨日、一昨日の夕食を思い出すような口調で語るのだから只(ただ)者ではない。それもそのはず、この人のキャリアがまたすさまじい。東大法学部を卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社し、執行役員まで務めた正真正銘のエリート。そんな彼が、高校時代の同級生からの呼びかけで、それまでのキャリアに自ら終止符を打ち、地元・岡山に戻って地域リーグのクラブの社長に納まったのである。さぞかし周囲は驚き、呆(あき)れたことだろう。なかには「ホリエモンみたいに何か企(たくら)んでいるんじゃないのか」と勘ぐる者も少なくなかったそうだ。
それでも実際に当人に会ってみると、いたって明朗なサッカー好きの経営者にしか見えない。前職を辞した理由を尋ねてみても、その答えは実に歯切れよいものであった。
「多くの人と苦しみや感動を共有できるというのは、一番の仕事の醍醐味だと思うんです。そう思いませんか? この仕事って、人間が本当に生きてきた証というか、社会への貢献というか、非常に分かりやすい形で具現化していると思うんですよ。ちょっとカッコつけすぎですかね(笑)」
自分がすごいと思うのはゴールドマンサックスの役員だったことでも、その地位を捨てたことでもない。
結果だけが求められる純度が最も高い証券の世界。それも外資証券というマッチョ オブ マッチョでなければ生き残れない世界で、こうした価値観を捨てずにいられたことがすごいと思うのです。
それも、その頂点を極めた上で。
こういう話をすると、「しょせん大金持ちの道楽」という人が出てきます。
前もって言っときますが、ファジアーノは社長のポケットマネーでは運営されていません。
GSの役員だった時には歯牙にもかからないだろう地方企業に社長みずから営業に回って
頭を下げて集めてきたスポンサー料で運営されています。
それどころか、スタジアムでの募金箱の横に立って、たった100円の募金に対しても
「ありがとうございます!」と言って深々と頭を下げてくれます。
こういう人を知っているだけに、最近のdankogai氏を見ても、改心する前のタイガーマスクみたいに見えてくるんですよね。