昼飯食ってたときの隣の奴らの会話。
A「知ってる? C、彼女できたらしいぜ」
B「え、まじ!?」
C「そうなんだよー、言ってなかったっけ?」
B「聞いてないよー。かわいい? かわいい?」
A「結構かわいいよ。」
C「いやいや。」
B「うわー。いいなー。誰に似てんの?」
A「そうだなー、うーん、言う人が言えば、柴咲コウみたいなかんじ?」
B「いいないいな! 言う人が言えばってことは、じゃあ言わない人が言ったら?」
ここで、
「え、言わない人が言ったらって何?」とか「いや、そういう言い方はしないだろ」
とか言う奴は頭の悪い奴、だと思った。
そりゃあその年代特有のもんだよ。世間のある一定の人達(世間的に主流派とされている生き方をすることに疑問を持たない人達)は、その年頃の人を見れば、本当は結婚について質問したいところだけど、ストレートにするのもなんだから、まずは「彼女いる?」って質問からはじめてるだけ。恋愛を結婚に結びつけるんじゃなくて、結婚につながる恋愛がないか聞いてんの。そもそもの発想が逆なんだよ。
いや敢えてトラバしないことにより遠回りな嫌味感を醸し出してみたんだけどな。
非モテについては、一部の過激派が「バレンタイン粉砕」とか叫んでるだけ。
「主婦が餃子の具材を求める姿が多く見られるようになりました」
みたいなことやってた。餃子の皮が根こそぎ売り切れてた。予想通り過ぎる展開だ。
食の安全が問題視されてるけど、それと同時によく見聞きするのが「賢い消費者になろう」。
ところが実際どうだろう。
白い恋人や赤福の販売再開に長蛇の列を作る。スーパーに餃子の皮を買いに行ってしまう。
この一連の騒動に限って言えば、賢くなったのは広告代理店だけなんじゃないのか。
その餃子の皮の産地を確認した人がどれぐらいいただろう。
スーパーに行くと、「産地が見える」みたいな生鮮食品がかなり増えた。
しかし大切なのは産地が見える事ではなくてその食品が本当に安全かどうかだ。
それを言い出したらじゃあ何を買えばいいんだよ、という話になってしまうんだけど。
「自分を無理に変えてまでモテたくないね」というのは非モテの火病。
非モテが結構な高確率で思うことだからマイノリティではない。安心しろ。
ただし、頑固で思考回路が凝り固まった人間より、思考回路が多少は柔軟な人間のほうが男女関係なくモテ率が上がるのだけは確か。
バレンタインにあえないから愛されてない?
べつにチョコじゃなくても、彼の好物をあげたり、疲れてるならマッサージするとか
いろいろあるでしょ。
まぁ愛されてないと思うようなことが他にもあるんだろうけど。
形にこだわって愛が見えてないのは増田も一緒じゃないかな
私は愛されてるんだろうか?と考える日もある。
彼がいるだけじゃ駄目なんですね。あたりまえだけど。
一つの物を得た/失っただけでは不十分なのだ、
なんて事は前前から分かっているけれど、最近それを実感することが多い。
逆に考えるんだ・・・。好きな(エロ)マンガ家が書いている同人誌がエロ同人だったんだ・・・。
というか、俺は時間をかけてそうなって行ったのだが。
最初の内は「セーラームーンの変身シーンってエロイよな、じゃあこの先があったらどうなのか?」と言う感じで同人誌を買っていった。
作者とかは考えずにエロ同人を買っていた。そもそも最初に買ったのは「アンソロジー」だった。
18禁でない同人誌でアンソロジーという存在は知っていたので、アンソロジーという形式自体を許容する下地は存在していたのだ。
俺は、エロ同人よりも先に、アンソロジーを読んでいたので、他の人とは違うと思う。
「本人が書いていないが、コレはコレでエロイ」という精神状態になっていたと思う。
その頃は、もはやエロ漫画に適した絵と、純粋な漫画としての絵は違うモノなのだと考える様になっていた。
勿論元増田の様に、エロ漫画としてエロ同人を初めて読んだ友人は「こんな絵でセラムンとか言われても違和感がある」と言い、
アンソロジー文化自体を知らなかった友人は「俺の○○を汚しやがって!」等と言っていた。
つまり、アンソロジー文化を受け入れられるかどうかで、エロ同人誌に対する許容度も変わってくるのではないだろうか。
余談であるが、俺はと言うと、クリムゾンやら多売系の同人誌の散在によって、その行為の空しさというか「そのキャラがエロければ誰が書いてもいいのか?」と言うのを考える様になった。
その内、絵が上手いエロ漫画家や、好みのエロ漫画家が現れて居るのを知り、環境も手伝って「中小サークル」から「大手」サークルを買うようになっていった。
(その頃はハイセンス系の世代─格闘ゲーム、エヴァ、リーフ─だったと思う)
そういう作者に目をつける様になって、ある種感銘を受けて「その作者が書いているのなら、何のキャラでも構わない」という風に逆転してしまった。
お蔭様で、今では良く分からないジャンルの同人誌も買うようになっている。
それはそれで面白いので、止められずにいるのだが。
母がそうだったかもしれない。
未診断。
様子がおかしかったので施設に入れたらしい。半分痴呆だったようだし。
遺伝の部分は確かに大きい
ずっとそれを考えてきた
今日亡くなったらしい。
お兄さんをあなただけが支える必要はない
施設や行政が助けてくれると思う
自立させればいいと思う
といいつつ
自分自身葬式に出たいとは
今まだ思えない冷たい肉親なのだけど
作品のテーマ的には社会の存続(生殖)のための快楽であって、逆じゃないし。ほしい人が負担するだけでは社会が存続出来ないのは先進諸国の共通の課題であるとか、その辺の背景も入れないと読んでて面白くないんじゃね?あと増田が言う脳を操れるような技術レベルなら、人工授精なんてコストかかるようなことをするより、脳を通して体を操って直接入れる(人間を道具化する)方が確実で安上がりだと思う。
ぶっちゃけ、脳を刺激で完結したら新鮮味がないから没じゃね?
それでも考えがわかった方がよほど気持ちがいい。
>孤独だというのなら俺が友人として支えになってやる。それ以上のことは他人に求めることじゃない。お前の問題はお前自身にしか解けない
自分もそう思ってきた。
でもこうやって文字にされると残酷かもしれないとも思う。
どうしたらいいのかわからない。
はてブを読んでいて「私と似た記事をチェックしてる」と思う人を何人か《お気に入り》に入れたりしますよね。
お気に入りのヒトのコメントを読んでると「そーそー!」と頷くことばかりで、気がつくとスターをつけまくっていることがある。複数のコメントにそれぞれスターをつけてるの。
これって気持ち悪いかなーって思ってひかえるようにしてるんだけど気にしすぎ?
うん、ほんとに野暮だね。