名古屋で女性が3人の男に拉致・殺害された事件でマスコミは「サイト男」とか何とか
とにかくネットを悪者にしようと言う流れがあるみたいですが、犯行グループの一人に
「新聞販売拡張員」(もしくは新聞外交員)が居た事を隠すためなのだろうか?。
「俺宅配ボックス」作って対応したことあるぞ。
業者も2度手間よりは置いていっちゃったほうが楽だから、うまいことやれば不在でも受け取れるよ、結構。
あのね、人力検索で聞くといいよ!
「心が広い」「優しい」「何であんなことまでされて怒らないの?」というようなことをよく言われる。そう書くと、なんとなく弱気で怒れないタイプの人を想像するかもしれないけれど、私は決して消極的な性格ではない。むしろ、結構ズケズケとものを言うタイプだと思う。
自分でも不思議なんだけど、周囲が怒っていることに対して、同じように怒ることが出来ない。怒っているのに怒れないのではなく、根本的に怒りが沸いてこない。
酷い言葉を投げられた時、理不尽な目に合った時、普通の人なら怒る。でも私は「世の中は色々な人がいるなぁ」「この人と自分は合わないんだ残念」というふうに思ってしまう。酷い店員さんにあたった時なんて、逆に面白くなってしまう。
恋人に浮気をされた時はさすがに悲しかったけれど、それですら怒りは沸いてこなかった。もちろん詰りも別れもしなかった。「悲しいからもうしないで」ぐらいだったかな。そういう性格を、自分では「心が広い」性格なんだろうと、ちょっと誇りに思っていた。
でも、その時に恋人に指摘されて気がついたんだ。私は「心が広い」わけでも「優しい」わけでもなかった。単に、怒るほどの感情を人に持てないだけだったんだ。それが恋人でも、家族でも、自分への暴言、暴力、裏切りを、何か遠いところでやっているTV番組のように、至極ドライな目で観察していただけだった。
人を斜め上から見ているつもりになっているお前は何様なんだと恋人に罵られ、横で聞いていた友人は憤慨してくれたけど、こう思い返してみても、やはり怒りは沸いてきそうもない。
http://anond.hatelabo.jp/20070827155649
中で何が起っててもイインダヨ!
今回の件、”テレホンカードをあげる”というのがあいまいなんだ。何を契機にどうやってあげるのか。それがないんだ。
はがきを出したら送られてくるとか、「頂戴」っていったら手渡ししてくれるとか。知らぬ間にポストに投函されてるとか。
それによって、メソッドを呼ぶとコールバックしてくるとか、メソッドが直接返すとか、勝手にこちらのメソッドが呼ばれるとか。
そういうことじゃない?
僕オーランド・ブルームっていいます!
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『「丸山眞男」をひっぱたきたい』を読んで啄木『時代閉塞の現状』を想起した。
改変ネタ投下にはやや旬を過ぎたか。
時代閉塞の現状はただにそれら個々の問題に止まらないのである。今日我々の父兄は、だいたいにおいて一般学生の気風が着実になったと嘆いている。しかもその着実とはたんに今日の学生のすべてがその在学時代から奉職口(ほうしょくぐち)の心配をしなければならなくなったということではないか。そうしてそう着実になっているにかわらず、毎年何千という国公私大学卒業生が、その半分は職を得かねて親元にごろごろしているではないか。しかも彼らはまだまだ幸福なほうである。前にもいったごとく、彼らに何倍、何十倍する多数の青年は、その正規雇用を享(う)ける権利を中途半端で奪われてしまうではないか。中途半端の雇用はその人の一生を中途半端にする。彼らはじつにその生涯の勤勉努力をもってしてもなおかつ三百万円以上の年収を得ることが許されないのである。むろん彼らはそれに満足するはずがない。かくて日本には今「ニート」という不思議な階級が漸次(ぜんじ)その数を増しつつある。今やどんな僻村(へきそん)へ行っても三人か五人の大学卒業者がいる。そうして彼らの事業は、じつに、父兄の財産を食い減すこととインターネットで騒ぐことだけである。
我々青年を囲繞(いぎょう)する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普(あまね)く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々(すみずみ)まで発達している。――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥(けっかん)の日一日明白になっていることによって知ることができる。戦争とか豊作とか饑饉(ききん)とか、すべてある偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込のない一般経済界の状態は何を語るか。財産とともに希望をも失ったワーキングプアとホームレスとの急激なる増加は何を語るか。はたまた今日我邦(わがくに)において、その法律の規定している年金受給者の数が驚くべき勢いをもって増してきた結果、ついにみすみすその国法の適用を一部において延長せねばならなくなっている事実(少子高齢化の事実、東京並びに各都市における無数の未納者が納付する金がないために半公認の状態にある事実)は何を語るか。
かくのごとき時代閉塞の現状において、我々のうち最も急進的な人たちが、いかなる方面にその「自己」を主張しているかはすでに読者の知るごとくである。じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫に堪(た)えかねて、彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(既存市場の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。同人のマンガやアニメやゲームのほとんどすべてが戦闘、暴行、ないし虐待、姦通の記録であるのはけっして偶然ではない。しかも我々の父兄にはこれを攻撃する権利はないのである。なぜなれば、すべてこれらは市場によって黙認、もしくはなかば黙認されているところではないか。
そうしてまた我々の一部は、「未来」を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。 戦前に対する回顧(かいこ)がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇(そうぐう)した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾(いかん)なくその美しさを発揮しているかを。
かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞(へいそく)の現状に宣戦しなければならぬ。虚無主義を捨て、盲目的反抗と戦前の回顧とを罷(や)めて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注(けいちゅう)しなければならぬのである。
愛を至上とするならば、最も重要なのは関係性や将来の保障ではなく、その二人の愛情がまさに重なり燃え上がるところの『デート』である。『デート』という行為、イベント、その瞬間こそ恋愛が結実するときであり、『デート』こそが目的であらねばならない。何かのために『デート』を利用するようなことがあってはならないし、何かのために『デート』を制限してはならない。この純粋なる恋愛を突き詰め極限まで不純を排除する姿勢が『デート主義』であり、至高の愛を追求した結果と言えよう。
「トラックバック」をたどっても大本の記事にはたどり着けない件
むしろ「スルーしろ」ってネタ振りにしか見えなかった。
一番可能性があるとするなら、今すぐ死んで来世に期待するのがいいかとおもうよ。
これを「北から目線」という
ああ、そう言う事なら判る。なんか変なんだよ元文
うちのかぁちゃんの初メールは手伝ってもらったのか普通のまともな内容で、おそらく頑張ったであろうのに、普通に返信して終わらせてしまった。