http://anond.hatelabo.jp/20070202124150
ほら、雅子さんの件とかもあんじゃない?
立場はずっと「軽い」のかもしんないけど
のびのび育ってんだなってフツーに思った。
高校生の頃のプロフらしいけど、
そりゃ、ちょっとお茶目な内容もあるけど
「度が過ぎる」という印象はもたないけどなぁ。
何で飯食ってるなんて、「親の事情」的な部分もあんだから
それはまぁね。
是非ヘンに萎縮せずに、これからもノビノビ成長されていただきたい。
そういうことからしか、「まともな知性」は育っていかないと思うし、
「まともな知性」を持つことは、結局、「闘う」ことでしかないから、
そのパワーを養っていかにゃ。
と、もし「つぐちゃん」に近い人がこれみたら
伝えてあげて下さい(笑)
いい意見だ。ポイントを贈りたいくらい。いろいろと考えていて感動した。
ニコニコ動画を、手放しでは賞賛することに違和感を覚える気持ちがますます増した。
事故というのは、この役者か。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%B5%A9%E5%A4%AA%E9%83%8E
Power for Billingという金払いの能力の話を書いた本を作ったらどうか、と思ったのだが、Billingを「支払い」と訳すのは微妙に違うのかもしれない。
そういうこと。
作り手の意欲を減退させるシステムは全部だめ。いい作品が生まれない。
著作権法でガサッとやってほしい。
と、書いて気づいたが、
ニコニコ動画でよく見られ、またコメント数を稼いでいるもののひとつに「ミュージカル・テニスの王子様」の映像がある。なかでも↓の映像が特に人気のようだ。
http://www.nicovideo.jp/watch?v=ut0UePKu4dlA0
確かにトンデモ漫画の世界を実際の人物がヘアメイクや衣装で二次元に近づき、歌と踊りで再現しているさまはおもしろいし突っ込みたくなる気持ちもわかる。ジャンプ連載漫画だから登場人物がわかる人も比較的多く、だから余計に楽しめるのだろう。
映像の上に直接突っ込みを書き込めるというかたちのせいか、リアルタイムで映っている役者の歌やせりふに対する突っ込みがコメントの大半を占めているが、このミュージカルの主役を演じている役者の歌のシーンになると「ちょwww音痴wwwwwwwwwwwwwwwww」といったコメントに占領される。
実際どう聞いても彼の歌は決して上手くないし、明らかに音程を外れている箇所が複数あるし、せりふも滑舌が悪く聞き取りにくいところが多い。
しかし、彼がその公演の1年半前に交通事故で2週間意識不明の重体に陥り、右半身に後遺症を抱えながらの必死のリハビリを経てその舞台に立ったことを知ってしまうと、どうしても一緒になって音痴wwwwwwwwと笑うことができない。
彼が何のハンデも抱えずに歌っていたとしたら私も一緒になって笑っていたのかもしれないと思うと、音痴wwwwwwwと笑っている人たちより自分のほうがよっぽど先入観にまみれた差別主義者なのだと嫌気が差すが、コメントを入れている大半の人はおそらくこの事実を知らないのだろう。まあ彼がお金をもらって舞台にあがることを自分で選択した以上、そんな背景は考えずに舞台の上のパフォーマンスだけで判断するのがあるべき評価だと思うのだが、それでも彼の顔や体の上に表示される大量の"w"の文字を見ているとなんだか無性に痛々しい気持ちになってきてしまう。
Nodeって言っちゃ申し訳ないけど。
15-50歳の女性の数は決まっている。Parent NodeのNがgivenなんだから、あとは1つのNodeのProductivityを上げてもらうしかない。
くやしい。とても、くやしい!…でも感じちゃう(違う)
いや、すでにYouTubeに上がってるかも知れないですけど、それでも、2chで実況しながらライブで見たかったと個人的に思いました。それで、ちょっと思ったのは、期待の番組がすぐ分かるようなシステムがあっても良いのでは?ということでした。
例えば、一週間先までの番組表が載っていて、期待の番組にコメントつきで投票できるようなWebサイトとか。ジャンル別に投票を分けるとして。
また、やはり、YouTubeは画質が悪いし、違法な手段にも頼りたくないという部分もあります。テレビ業界的にも歓迎されるでしょうし、ライブで見るにせよ、予約するにせよ、そういうシステムがあったほうが便利だと思いました。
国のお金で留学している人が、海外で国毎のセックスの仕方の違いについて個人的に実践して研究してますってのをギャグでもネットでぶっちゃけるのは気持ち悪い。
神様や、それに類するものを信じることですか
それとも教義を信じ、実践する(させる)ことですか
寛容非寛容とかじゃなくて、そもそも都合の良い物語だった。
戒律破ってもなんのお咎めもない。
すでに宗教じゃないっての。
改宗の傾向とその原因を調べたら面白いかも。
どこが黒板色掲示板色が出ているのかさっぱり分からない。
それとも今では被差別賤民語が平気で使われるようになっているのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070202133832
嫌なものは見たくないでしょ。
あと、罵倒とか批判とかは言葉が通じる相手じゃないと難しいんじゃないかなぁ。
昔親に早く寝ろと言われて、ベッドの中で想像していたの一つ。
ある男がいる。
全身黒づくめで、深く帽子をかぶっている。そのせいか闇に溶け込み、気づく人は誰もいない。
そして、昼間にして、同じ格好をしているものの、誰一人として気に留めることはない。
男は僕をずっと追っている。
彼は僕がたどってきた道、通学路や駄菓子屋の前や塾への道をトレースするように、同じスピードで動いている。
しかし、数日か数時間か数分か数秒、僕より遅れていて、ずっと追いつくことはない。
ただ、僕はこうしてベッドの中で目を瞑っている。次第に眠くなってくる。
眠りに落ちてしまったら、黒づくめの男に追い付かれてしまう。
捕まったら殺されるかもしれない。消されてしまうかもしれない。
僕は毎夜の如く、これを想像した。馬鹿げた話だが、一時期不眠症にすらなった。
そうしないと眠れなかったのだ。
今思えば、僕なりの寂しさを解消するすべだったのかもしれない。
そうやって僕を気にしている人がいるかもしれないという妙な期待と不安感が枕の傍で蠢いていた。
ただ、本当に怖かったのは、ある朝、本当に想像通りの男が通学路に立っていて、
僕をじっと見つめていた事だった。
ゴメン、それどっちも俺が書いたんだ……。というのは言ってもしようがないか。
まず、「強さ」だけれど、これはクリリンがヤムチャより強いという意味での強さじゃない。だから鍵括弧つきの「強さ」なのねん。ここでいう強さとは、ミームとしてどれだけの生存域を確保できるかという話。つまりどれだけ強く人の心を惹きつけるかという意味での強弱と捉えていただければ。
次に、布教のための寛容さを「必要悪」と書いているけれど、最初の文章でも、その後の文章でも価値判断をしていない。どういう戦略をとるかというのは良い悪いの問題ではない。他者に対する寛容さとはつまり、自分自身の変容をどれだけ許容できるかという問題で、ミームの拡散に於いて、変異することは避けられないんだけど、あまりに他者に寛容すぎると、その形があやふやになってしまい、自己を認識しにくくなってしまうし、あまりに非寛容だと、そもそも拡散することが難しくなる。キリスト教はそのバランスが絶妙だったんだろうなという話。
以下、盛り込めなかった話(←貧乏性)