むしろ、Vipperといいたい。そんなにVipperなのか?
なせ、Vipper語をつかうのか!?諸君はっ!!
恥ずかしいのか?自分に自信が内のかっ?
もナーはもともと、あめぞうでうまれた とかの話ではなく
そこらかしこで、2チャンネル文体が通じるとおもってるのか? ミクシーのコミュの掲示板しかり、 増田しかりだ
2ちゃんねる用語や文体はねっとこみぃにちーの共通言語ではない
君たちがかぶれているというマークにしかならない
2tyなんねるようごをつかえば、へんちきりんなことを いっても、 免罪符になると おもぅているのか?
ネット上のトラブルも痴漢の冤罪みたいなものだ。痴漢だと騒ぎだしておいて、2ちゃんねる型「正義」でいやらしく追求する。痴漢だと言ったほうが証明しなければいけないことは放棄してお祭り騒ぎに興じる。熱が冷めたころには、痴漢だと騒ぎ出した人はとっくに逃亡。
「あるある大事典」で「納豆を1日2パック食べるとやせる」と放送
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(以下妄想)
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納豆の業界団体が、「あるある」に納豆をテーマに放送するよう依頼していたことが発覚
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「あるある」で放送済みのほかのネタでも、業界団体やメーカーからの強い依頼があったと発覚
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(以下続く)
そういうのには興味はないが、あの感覚がどういうものだろうという点で一瞬なってみたい感はある。
これは男の適わない妄想。
http://anond.hatelabo.jp/20070121141154
この妄想が極まったところとして少年少女文庫あたりがその巣窟じゃないか?
この淵は底が見えないので迂闊に近寄って死ぬんじゃないぞ。
女は本能的に男の好き嫌いを決めている部分が多い。「生理的に受け付けない」は、女に多い。
対して、男は打算による部分が多い。かわいいか、セックスできるか、自分のことを好きでいてくれるか、など。
もしも、より自分に合っている相手を結婚相手として選ぼうとするなら、男は自分のことをより好きになってくれる女を結婚相手にすれば良いのではないだろうかと思っている。
女の方が本能に基づいて男を選ぶから、より遺伝子的に優れた子が生まれるに違いない。
別に性同一障害があるわけでもないし、もし俺が女だったとして俺は女性のライフワークではやっていけないだろう。
怠惰で機能美ばかりを追求してしまう俺は化粧やファッションにそこまで時間をかけようとは思わないだろうし、井戸端会議のようなものにどこまで参加しようと思うか分からん。過去の俺なら会話に明確な目的を求めていたから、会話のプロセスそのものが目的というのには到底耐えられなかったに違いない。
おそらく俺が女なら不美人になっていたことだろう。
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でもそんなこととは別の話として、オンナノコのしなやかな、(または華奢な)身体には憧れるのだ。
できればその姿を得たいと思う。
こういう思いが根底にあるので、どうにも男性らしい姿にはいささか抵抗がある。
だから俺の場合、おそらく筋肉質を目指そうとしても失敗する。
女性の衣服には可愛いとか、インスピレーションをかき立てるようなものが多分にあるが。
そんなわけで、マンガとかも少女マンガの方にはまってたのもそういう背景からかもしれない。
とは言え、男として生まれてきた以上は、男として生きるつもりだ。
男である俺には男性ホルモンが流れてるし、そのおかげで髭は生えるし体毛は濃くなる。
女性的な美から遠ざかっていくのは事実だ。身体の働きの自然な流れだ。
女性ホルモンを打ったりして身体と経済に負担をかけてまで無理に自然な流れに反しようとは思わない。
そして男は女には美しさでは敵うことなどできないのだ。
元々自然界的には男なんて女を守る盾の役割だ。そこにあるのは機能美と実用性であり、容姿なんてものは本来専門外のことだ。
((または自分が強いと言うことを一目で証せられる姿が求められる))
ただここでこんなことを書いてるのは、己の理想の肉体について再確認するためと、今後、俺がどんなライフサイクルで、どんな姿を目標に描いたらいいのかを考察するためである。
最近は男にも随分と女性的なものが認められ、また容姿というのならホスト系やジャニ系なども公に見受けられるようになった。
ただ俺が求めるものはどうにもこういう系統ではない気がする。
結局ジャニだろがホストだろが俺から見たら男というロールに変わりはない。
より中性的なものが望ましい。
まずしなやかさ、これはおそらく外せまい。柔軟性は日々のトレーニングで身につけることとする。
従って、一応は筋トレはするが、それは柔軟性を身につけることが重点である。
関連して健全さもより高めねばならぬ。
ランニングなどを毎日行い、新陳代謝を活発に保っておくべきだ。
服装に関して。
今まで服装に拘らなかった。
理由は気に入るものがなかったから何でも良かったのである(あと金銭面)
より魅力的に、より中性的なものがいい。
ただ、いきなり女性用の服を着けるのはちょいと抵抗がある(第一店頭で買うことができない。はずくて)。
だから、「男が着ていてもおかしくはない中性的な服装」が目標だが、果たしてそんなものはどこにあるのだろうか?
調査が必要である。
あと、このことに関する当面の課題としては、目標となる人物を早めに設定しておくことである。
いったい今、ここで俺が言ってるようなコンセプトにマッチするような人物が有名人などでいるだろうか?
ご存じの方は一方をください。
以上、俺は女性の身体・女性の美に憧れる、なりたいとさえ思うが、内面は男、肉体的にも男なので、男として中性的な路線で行くことにした。
ユニセックス路線とでも言えばいいか。
この広いネットの中、俺のような人(性同一障害ではないが、かといって自分の性に求められるイメージに抵抗を持つ人)は是非参考にしてもらいたい。
あとこのような俺みたいな人が集まってるようなコミュニティを知ってる方がいれば紹介してください。
でも一応念のため断っておきますが俺はゲイやバイじゃないです。ちゃいます。否定しときます(まぁファッションくらいは参考にさせてもらうかもしれませんが)
追記:別に俺は女性の身体について甘い期待・願望だけを抱いているわけではない。
むしろ女性の身体の不便さや危険さについてもそれなりには承知しているわけであるのでそこを含めて手放しで賞賛しようと思わない(むしろ女性が大変だと分かってるからこそ俺は男として生きる道を選んだと考えることもできる)。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
書いている時は改めて落ち込んだけど、今はそうでもなくなった。
妻は決して僕に家事を強いてはいない。
むしろそのことを申し訳なく思っているような感じだ。
僕は極力早く帰るようにしているが「仕事大丈夫?こっちは心配しなくていいからね」と言ってくれるから。
しかし実際には心配せずにはいられない。
妻は手を抜けないタイプの人だから、
家事の手を抜くように僕が言ってもそれをできないばかりか、
しまいには「簡単に言わないで」と感情的になったりする。
買ってきた惣菜を子供があまり食べなかったり、うんちが硬くなってきたりすると自分を責める。
妻のような人にとっては今の時期の子育ては本当に辛いのだろうと思う。
お互い、今の時期の子育てには向いていない性格なんだと思う。
今回、僕はコメントの中の「同情」に救われたような気がする。
妻に寄り添ってもらいたかった僕は、それができなくて孤立していったんだと思う。
そうして独りよがりになっていた僕は、他人に寄り添ってもらっただけで、随分気が楽になったんだ。
同情と言う言葉にはあまりいい響きは無いけど、追い詰められた人間を救うのは、得てしてそんなものなのかも知れない。
だから今度、僕は妻に同情してみようと思っている。
妻の立場に立ってみて、心からの思いやりの言葉をかけてみようと思っている。
…そんなこともできていなかった僕は、やっぱり駄目な夫なんだな。
この時期の夫婦にとって「話し合う」ことほど難しいことは無いのではないかと思う。
でももし、妻が今の僕と同じような気持ちになったようなら、その時あらためて話し合いをしてみようと思っているんだ。
直接の知り合いが見ているブログやmixiには書けないようなことがある。辛いこと悲しいことだ。
それらを友人知人に洩らすことによって、心配されたりあるいは嘲笑されるのが嫌だから書けないのである。
ならば、友人知人にばれない匿名の場で愚痴をこぼせばいいかと思えば、匿名の場というのは匿名の場であるからして、「自分が」苦しんでいる悲しんでいることが伝わらないのだと気がついた。
このことに気がついて初めて、私は「自分が」苦しかったり悲しかったことを知らしめたかったのだと思い知った。つまり、自分語りをして、挙句にそれを理解してもらいたいということだ。匿名の場でそれをやってのけることは難しいと思う。
自分のことを語るのだから、ある程度私のことを知っている人に語らなければ意味が無いのだろう。しかし、自分のことを周囲の人間に理解してほしいという欲求とともに、本音を洩らすことによって距離をとられたりしたり顔で説教されるようなことは避けたいと考えているのである。だからこそ、知り合いが閲覧してることが分かっている場では書けないことを、匿名の場で愚痴愚痴と洩らしているのである。それでは私の欲求はほんの少ししか満たされない。
解決策として、メリットもデメリットも覚悟して友人知人の前で本音を盛大にぶちまける、みのもんたに電話をする(説教される可能性も高い)、ホストクラブに通う、私を絶対に否定しないと確信できるような知り合いを探し出しその人にだけ本音をぶちあげる、くらいしか思いつかない。どれも実現できそうにない。これらを実行できるだけの行動力があれば、そもそもこんな問題で悩まないだろう。
なので私は、匿名の場で名乗りもあげずに、私を理解して!と叫び続けるしかないのだ。私って誰だよとは、誰も訊ねない場でそんなことを叫び続けるのは、本当に無意味だ。友人知人が私の前で、手首を切ったことや薬をたくさん飲んでいることや死にたいことやふられたことを吐露し続けるさまを見ながら、そんなことばかり考えている。
http://anond.hatelabo.jp/20070119161228
いるのである。
「大変だったね」「嫌な思いしたね」という相づちすら野暮だと思わざるを得ないような話しぶりなのである。もちろん、コンプレックスで捻じ曲がったあたしの偏見だという可能性も否定はしない。でもいると思うよ。
一女子と名乗ることで、あたしは女子だ、女子だぞぉぉぉと再認識して嬉しくなれる可哀想な女子をあまりいじめないで。
http://anond.hatelabo.jp/20070119150051
30年??40年とはスケールの大きな話ですが
そもそも40年後も日本と言う国体を保ってられるんでしょうか。
保ってたとしてお金(円)の価値とか暴落とかしてないでしょうか。
そっちのほうが心配な今日この頃。
http://anond.hatelabo.jp/20070121012737
ごめんなさい、実は5歳さば読んでました、と言う。
しかし10歳差は余裕でストライクゾーンが多数派だと思うが。
年齢差ってか、こんな話もある
また俺の予言が当たっちゃったよごめんね<(_ _)>
今回の他の候補作はいずれも描かれている世界があまりにも狭く、書くことが他にないのかと思えるほど男女の愛やデートやセックスの話ばかりであり(何度も言うようだがセックスとは書くものではなくするものだ)、短くすればよくなる筈の話を一冊の長篇にするためにだらだらと引き伸ばしていて退屈だったり、書いていてさすがに世界が狭いと感じたのか陳腐な政治論や戦争論が出てくるもののそこが一番つまらなかったりする。自分の少女時代のひ弱な感性をそのまま描いている作品が多かったが、これは女性の一部からは共感を得るかもしれないが逆に言えば読者を限定していることにもなり、つまりは日記や感想文と同じでそれだけの作品にしかならないことを知るべきだろう。普遍的に文学に高めるにはそんな描写をし続ける自分=作者に対する疑問や、そこから発展して現代の文学のありかたを否定するくらいの大きな視点が必要になってくる。(筒井康隆 2003年 「「阿修羅ガール」を推す」 『第16回三島由紀夫賞選評』 新潮社)
今の『増田』の状況に似てないか?
当初一人暮らしをしていなかった場合
非生産的な毎日送ってる?