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2009-09-10

物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませ

物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませんか。

どこにも声をあげる場所がありません。

キリスト教?あの某宗教カルトなんかより全然いいじゃない」

「知り合いのクリスチャン、いい人ばかりだよー」

「いやならやめればよくない?」

声をあげようとしても、かえってくるのはそんなのばかりで。

やめました。やめたつもりです。でもべっとりとこびりついてくるのです。

小さい頃、みんながワイワイしていた中、1人「僕はあんなことしちゃいけない」と思いながら、「でも、クリスチャンじゃなかったら、やるかもな・・・・・」なんておもってた。

いじめられてもやり返しちゃいけない。ゆるさないといけない。バカだと言われ続けていればいい。やり返せるようなタマじゃなかったけど、でもそれってやっぱ生まれつきといっていいほど、キリスト教に閉じ込められたからなのかなあ。

大人になったら「堂々としろ」。

子供キリスト教信じさせてる親の方。

子供が本当にどうおもってるか、言うと思いますか。

あるいは、「神様信じてるよ」って言う言葉だけを真実として拾ってませんか。

嗚呼。

昔、たまたま会えた二世の社会人の人、結構キリスト教をさめた目で見てたなあ。「まあ生まれたときからこうだからやってるだけなんだけどね」っていってた。

神よ、あなたを消すにはどうしたらいいのですか。

母のキリスト教信仰は、すごく自分の都合解釈信仰である。現世利益ばかりを求めるニューソートのそれとさして変わらない。が、母によれば、テレビに出る江原を見ては「この人は悪魔よ」といい、キリスト教を信じない人であればどんな善行つんだ人でも地獄に落ちる。

母は祖父母にひっぱたかれて育ち、弟の叔父は手厚く育てられた。第一子なのに、娘だったからなのだろうか。

僕、母に子供の頃、よく使い終わった生理ナプキンを見せられ(母はいまだにそうだがトイレで用を足すとき扉を閉めない。母につきまとうような子供だった自分は、必然的にトイレが終わり母が出てくるのを待つので、そのついでに母は僕に真っ赤にそまったナプキンを見せるのである)、「おまえはおかあさんのお腹を切って生んだんだけど、そのときおかあさんのお腹の中のうんこにまみれちゃってうんこまみれだったのよ」といわれつづけたりしましたが、このぐらいは親子の会話であれば普通なのだろうか。

2008-07-20

自分探しが止まらない」 速水 健朗

面白かったッス。

資料まとめただけとか、主張がないとかいう批評が多いけど、おまいらどこに目をつけとるのかと。

著者は、中田英寿の「引退と旅立ち」から筆をたて、「あいのり」「須藤元気」「イラク人質事件」といったアイコンから「現代特有の自分探し」の様相をつまびらかにする。

そして、自分探しルーツをさまざまな資料をもちいて探し当て、現代にいたるまでの自分探しの変容を記していき、こうした自分探しが生まれた原因と、それを食いものにする産業構造を告発する。

労作だと思う。

ここまで資料と史料を駆使して、「自分探し」に切り込んだ本はなかった。

なぜ自分探しはとまらないのか。

それは、著者自身がふれているように、また大澤真幸の「不可能性の時代」でも指摘されているように、近代において「個性」であるとか「自己実現」「かけがえのない自分」といったものが異様なまでに称揚されてきたことにあると思う。

普通であることは凡庸とみなされ、多くの人が「何かになるよう」に「強要され」たえざる不安の中で生きることになった。

政治財界マスコミ、多くのリソースがそそぎこまれ「不安な個人」を形づくった。

そうした「不安な個人」はちょっとつつけばすぐに「自分探しという病」にからめとられる。

自己啓発セミナー」や「我求館の杉村太郎」、「ワタミグループ労働スタイル」など、それぞれに自覚があるかないかはともかく、「不安な自己」をくじいて、過剰なポジティブシンキングで「どこかにいる自分」を目指して走らせるというスタンスは「自分さがし業者」に共通する。

この手法の始祖をニューエージやニューソートに求めた著者の指摘は概ねただしいだろう。

そう考えると、「自分探し」は近代の先進国に共通する宿痾といえるのかもしれない。


では、自分探しは悪なのか。

著者にはこうした自分探しにはまる若者を嘲笑するスタンスが見え隠れする。

私もそうだ。

自分探し教徒のみなさんを嗤っている。

でもちょっぴり羨ましかったりする。なんだか楽しそうだしね。あのテンションの高い人生は。

けど、「自分探しが悪」とは言い切れないと思う。

自分探し」と「よりよく生きるための努力」は紙一重だからだ。

ただ、化粧やダイエットからはじめればいいのに、いきなり美容整形に手を出すような「自分探し」は危険だと思っている。

とりわけ悪徳業者にその「自分探しによる生きがい」をいいように利用されているな事態は問題だと思う。

手段である「自分探し」が目的化したとき、「自分探し」は病に転化するのだ。


著者はこうした自分探しへの処方箋として「前向きに生きること」なんてのを掲げている。

ちょっとそりゃないだろうって気がする。

多分「自分探し」のカーネルがなんだかを探求しつくせずに、自分探しの様相を総覧的にまとめあげ、そのルーツニューエイジとかに局所化しすぎたからそんなしょぼい結論しかでてこなかったんじゃないかと思う。

アクセル全開に人生を突っ走り「無限遠の彼方にいる自分」を探すのでもなく、「そのままの君でいい」なんて甘言にのせられて「そのままの自分」を探しだすのでもない、「宙づりの自分」に我慢できる第三の道が、自分探しにからめとられない生き方のヒントだと思う。

それってなんだよ。

具体的にいえよといわれても、私も思索の途中です。

すいません。一生答えなんて出ない気もしますが。

けど、「闇金ウシジマくん」の<サラリーマンくん編>の主人公医療営業の小堀が全てを失ったあとに達した境地がヒントになるような気がするんだけどね。

(あれって「小さな成熟(苦笑)」?・・・)

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