2024-05-21

五十七番の目はまだ開かれたままで口もそうだった。

その小さな顔は苦痛の表情に歪んでいた。

しかし最も私に印象を残したのはその顔の白さだった。

以前は青白かったが、今では体を覆うシーツより少し薄黒い程度だ。

その小さな歪んだ顔を見つめるうちに、

台車で運び去られ解剖室の遺体安置台の上に放り出されるのを待つこの胸の悪くなるような遺棄物が「自然」死のひとつの例であるという事実

礼拝での祈りで願われるものひとつであるという事実が私を襲った。

そう、そうなのだ。私は思った。

これこそ二十年、三十年、四十年後に待ち受けているものなのだ

高齢になるまで生き延びた幸運な者の死に様なのだ

もちろん人は生きようと望む。死への恐怖によって生に留まるのだ。

しかしその時考えたように、今では私はあまり歳をとらずに暴力によって死ぬ方が良いと考えている。

人々は戦争の恐ろしさを語る。

しか一般的な病のどれかにでも残酷さで匹敵するような兵器人間によって発明されたことがあるだろうか?

1946年11月

貧しい者の死に様 ジョージ・オーウェル

https://open-shelf.appspot.com/HowThePoorDie/chapter1.html

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん