大砲を打った場所は備前島であったというのが正しいです。
大砲はカルバリン砲が主力であったのは正しいですが
一種類だけではなかったようです。芝辻砲も使われています。
回答者の答えで有効射程と射程距離の差が大きすぎる
と感じられるのではないか思いますが、
これは当時の砲弾が炸裂しない無垢の金属弾だったためです。
砲弾が炸裂しませんから当時の大砲は
ほぼ水平に近い撃ち方で射撃していたのです。
水平に近い撃ち方で敵兵を薙ぎ倒す撃ち方です。
これだと砲弾は地面でバウンドしながら敵陣の奥の方まで
敵兵を薙ぎ倒せます。軍艦相手ですと敵艦のどてっぱらに
穴を明け、うまく喫水線に当たれば撃沈も可能でした。
砲弾を上の方に打ち上げるとドスンと地面に落ちるだけで
大した効果が出ないのです。
それなのに家康は上に向けて撃たせました。
そうすると6Km以上飛んで大阪城に落ちます。
効果は少ないけれど脅しにはなります。
天守閣を狙って、天守閣を損傷させれば大阪方の士気は落ちます。
そしてその砲弾が御殿の屋根と天井を突き抜けて
奥女中を殺したんです。
炸裂しないたった1発の砲弾で8人も死ぬのか?と思われるでしょうが
金属無垢の砲弾が建物や軍艦の材木に当たると
材木を砕きその破片が飛散して死傷者が増えますので
この場合もそうだったかもしれません。
あるいは1発と言うのは、淀殿の狼狽ぶりを強調するために
1発としたのであって、実際はもっと沢山命中していたのかも
しれません。
2022/1/6 15:23
野球でホームランボールは40度位の角度で打ち上げるのが
良いといわれますが
砲弾も45度に近い角度で打ち上げた方が遠くまで届くのです。
2022/1/6 15:30
ちなみにカルバリン砲の有効射程(通常通り撃った場合)は
1800m
到達距離(上に向けて撃った時)は6300mとされています。
砲弾重量は8KG
なお家康はカルバリン砲のほかにも
セーカー砲という大砲も輸入して使っています。
2022/1/6 15:32
備前島から大阪城までは500mほどだったので
十分届きます。
Permalink | 記事への反応(1) | 11:42
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いくさがうまいなあ さすがに60年間戦国時代生き抜いてねーわ https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13254972638