大坂との対戦は二回目である程度実力はわかっていたはず
そして、決勝戦という場で問題をふっかければ負けても試合がぶっ壊れようがお構いなし
試合後のセリーナの清々しい顔を見たらそんな気がしてならない
なぜなら目的が達成されたから
ある程度アメリカの世論も着いてきてくれると見越していたか
あらかじめ準備をしてきたのではないか?
あんなあからさまなコーチングをしておいて、しかもコーチがコーチングは当たり前だ誰でもやっていると言っているのに
セリーナは私はコーチングをするような卑怯なやつじゃないって、これは性差別だ!は無理がありすぎる
やはり、目的はフェミ運動のきっかけとするためのものだったのではないか
それが選ばれたのが全米オープン女子決勝だった?
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