2017-02-04

大余生時代

駅前ラーメン屋に入ると、老夫婦とその息子であろう40くらいの男性の客がいた。なにも話さず、目も合わさず、ただラーメンを食べていた。

その姿は、先に滝がある川をながれるいかだの上に後ろ向きに乗っているかのようだった。ただただ時間が過ぎるのを待っているだけに見えた。

夫婦は彼が生まれとき、ひそかに、またこうして孫を抱ける日を期待したんじゃないだろうか。彼はいつか自分も両親のように子を抱けると信じていなかっただろうか。

なにが原因だったのかはわからない。彼らのひそかな期待は今は見るに堪えないから、目をそらし、言葉にしないのだろう。

新しい世界はなく、コンビニのような昼夜をとわない光はなく、異類であろうと結婚はできず、生きているのか、死んでいないのか。火花を散らす力もなく、スクラップビルドもない。

ただ、長い長い、余生が続いているように見えた。つまり、今、僕たちは、みな拗ねてしまって、長い長い余生をすごしているのだろう。時間の流れを惜しいと全く思わない、余生を生きているのだろう。

僕はネギラーメンを頼んだ。

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