2013-10-16

エレベーターの降り口手前の話

要するにフロアごとのドア開閉部「手前」で待機しているひとに物申したい。

あのさ、一度昇ってから降りてきているのだから「誰かが降りてくる可能性」は少なから存在しているでしょう。それなのに、なぜお前はドアの手前でスマートフォン片手に、俯き加減で開いた瞬間のドアに体を乗り入れるんだ。して、なぜぶつかる寸前だった相手に小声で「すみません」と応えるんだ。挙げ句の果てには舌打ちする輩までいる。ある程度予想できるから、少し離れた場所で待機している僕の前に、なぜ立とうとする。イス取り合戦ほど争うような場面でもないのに。そうして起こりうるハプニング。何度繰り返したら分かるの、馬鹿なの、死ぬの?

最近だと降りる側になっても、一度完全にドアが開いて見通しが良くなるまで中で待機していたりもした。すると、入ってきたとたんに驚かれるわけだ。「お前、なんでまだ居るの?」と訝しむ目つきで僕を差しながら、半身にして避けるように乗り込む。かと思えば、視界に入らない死角からのっそりと出てくる人もいたりして、やはり同じような反応をされる。

予測だとか予想だとかそんな言葉を並べてしまえば「全てを見透かせる人間なんていないのでは」と反論されることだろうと思う。けれど、「習慣」として根付くことは彼らにはないのか、と不思議に思えて仕方が無い。もしも、一歩引いて見てるだけの自分に「起こりうる可能性を見過ごした罪悪感」が生まれていて、それがこの文章のきっかけになったのなら、もはや不幸だ。

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