成功者はみんな似通っていてみんな決まったいくつかの条件を満たしている。これに対して失敗者はみんな百人百様で
だからこそ成功学が無くて成功「哲学」であり、失敗「哲学」がなくて失敗「学」なのだと。ついでに言うと成功「法則」はあっても失敗「法則」はない。
それはつまり「成功」とはある程度童貞できるほどには決まりきまった1つのパターンであるから「どうすれば成功できるのか」を哲学することができる。
だが「失敗」は決まった1つの対象ではないからその定義と意義を問うことはできない。むしろ「どんな失敗がありうるのか」を博物学的に吟味し、考察することになる。
大きな成功という括りにすればするほど測る目盛りがドンドン荒くなってくから抽象化するしかなくなる 具体的な成功体験を語るとなると小さい目盛りの定規でしか測れない無数のディ...