2010-12-24

あるクリスマス日の出来事です。 が、賑わっている

http://www.twitlonger.com/show/7k0gjq

ブコメでは肯定的に受け取るひと、否定的に受け取るひとに分かれているが、

つの視点の違いは

肯定的=夢や気持ちを大切にするストーリーに感動(浪花節子供が主人公)
否定的=商行為における特別サービスの考え方への違和感

と私は受け取った。

私の場合は、どっちの意見もそれぞれ理解できるが、否定派に分があると考える

おもちゃ屋のストーリーは販売側と顧客側、つまり商行為が発生しているので商法において関係が定義されている。その関係がありつつ、特別な事例(感動話のクレーム)によって販売側の組織の一人の独断らしき判断によって達成された物語である。個人同士の感動を表した物語であるが、そこには企業組織、果ては社会に対する未来への道が閉ざされた、一時避難的サービスを行っただけの話である

何が言いたいかというと、よく耳にする感動系の話として

リッツカールトンの従業員はいくらいくらまでの自由に使える経費を与えられていて、顧客誕生日に特別な計らいを行って感動を与えた。

ディズニーリゾートで、お子様を亡くした夫婦が、亡くなったお子様の食事を注文し、店員もそれをサポートして感動を与えた。

などある。

これらと、今回のおもちゃ屋のストーリーとの違いは「組織の仕組み」かどうか?なのだ。

組織の仕組み」は一時的なサービスはな戦略的に仕組まれたものなので、継続と安定が望めるのである。つまり感動が未来へ繋がるのだ。

一方、今回のおもちゃ屋のストーリーは、いち担当者が機転を利かせたものにすぎない。なので刹那主義的な感動にしかならない。

いやらしい書き方をすれば、このおもちゃ屋のストーリーには、裏で泣き寝入りした家族子供)もいるだろうという事が見えてしまっている。不良品を購入させてしまった顧客への不公平が生じているのだ。ひとりの担当者浪花節は、他の困っている顧客へのサービスにつながっているのか?が表現されいていないことが「違和感」に繋がる。

この商行為の販売側と顧客側という枠組みで、個人の浪花節を語ることが、このストーリー問題点なのであり、この物語構造的な矛盾が違和感を生んでいるのだ。

少なくとも、組織浪花節なら、すっきりしたかもしれない。もしくは商行為という関係にない家族内部での感動の話だったなら、すっきりしたかもしれない。

このような、安っぽい話を読んで感動した人なら、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」を読めば人生が変わるかもしれない。

  • なんだそりゃ。 世界中の困った人を助けられないんなら最初から小額の募金なんかするなみたいな論調だな。 ま、募金と商行為は違うっていうんだろうけどね。 この話を安っぽいとか...

  • "いやらしい書き方をすれば、このおもちゃ屋のストーリーには、裏で泣き寝入りした家族(子供)もいるだろうという事が見えてしまっている。" ここが理解できない、店舗は購入者全...

  • ようはサンタ(の格好をした店員が持ってきたのが)売れ残りなのか それとも誰かが買えずにいたおもちゃなのかで話が変わるよなってことなのか? でも否定的な意見はどうでもいい...

  • 君の意見には99%賛成しないが、元ネタが安っぽいというところだけは賛成する。世の中ベタやのー。

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