世間にはそうしたほうがいいっぽいってことがある。
そして、俺はそれに従って生きてきた。
会話が面白い人の方がいいっぽいからそうした。
優しい人の方がいいっぽいからそうした。
音楽聴いてた方がかっこいいっぽいからCDをめちゃくちゃ借りた。
運動はできたほうがいいっぽいからサッカー部に入った。キャプテンになった。
サークルは入ったほうがいいっぽいから入った。
家庭教師は割がいいっぽいのでやった。
やりすぎない程度にかっこいいっぽい服を着た。
彼女はいた方がいいっぽいから作った。
いいゼミに入ったほうがいいっぽいから入った。
就職はいいっぽいところを受けて、そこに入社した。
俺は世間においていいっぽいことをやれる才能がそこそこあるらしかった。
いいっぽいことをやっているとそれなりに楽しいし、大抵すごいねと人に言われるのでそれなりに気分はよかった。
いい「っぽい」ってのはそれなりの理由と要素があって、いい「っぽい」とされてるらしい。
金やら経済システムやら人間の心理の仕組みやらその他諸々の条件から生み出される。
俺が生まれたころのいい「っぽい」ことと今のそれは違うだろう。
ただ、それはすぐにはそんなに変わらなくて、だから俺はそれを当てにしてきた。
そして人はその「っぽさ」で人を判断したりする。
しかし最近その「っぽい」ことに飽きた。というかだんだんアホらしくなってきた。
いろんな価値基準は全然確かじゃなかった。知ってはいたけど。
出世するのがいいっぽいらしいし、MBAとるのがいいっぽいらしいし、起業するのがいいっぽいらしい。
そんで結婚するのがいいっぽいらしいし、社会貢献するのがいいっぽいらしい。
で、子ども作って、その子どもに「いいっぽい道に進め」って言うんだろうなと思う。
でも、いっぺん頭の中の枠外しちゃうとストレートにその「っぽさ」を受け取れなくなる。
俺はそうじゃなかったらしい。
入社してすぐの会社をやめて放浪したいなんて訳もわからない衝動が出てきた。
それは世間ではダメっぽいから今のところ粛々と仕事をしている。
でも2010年の現在に俺は生きてるから世間にある様々な「っぽさ」を肯定も否定もしない。
ただその世間にある「っぽさ」を利用して、自分の自由をひっそり獲得したい。
それがどんな形をしてるのか今はわからないけど。
「自分の好きなように生きろ」というのは下流社会に生きるフリーターや派遣社員の生き方を肯定するマジックワード。 30歳過ぎ独身の女に「結婚だけが人生じゃない」と言って雑誌を...
捨てちまえよ。 上等で不完全燃焼な人生。 まだ間に合うぞ!
プッw 「人生の多様性」なんて競争に負けた奴が必死に自分の人生を正当化するための口実だろう。 ちょうどhttp://anond.hatelabo.jp/20100720232042のエントリがあったが、利潤が最大化する生...