はてなキーワード: 家庭教師とは
概ね同じような感想を抱いたなー、懐かしい。
政治のみならず、宗教、経済、地政学、IT、湧き出る好奇心が止まらなかったのを覚えている。
香港やらドイツやら色々住んでいたけど、あらゆる面で日本がトップ。
あとは宗教。別に差別するつもりはないけれど、アブラハム系はやっぱりどこか違和感が拭えなくて
カトリック系の幼稚園やら高校に通った経験からも、やっぱり仏教・神道に戻ってきちゃう。
欧米でもマインドフルネスやら禅を学んでいる人はどこか考え方が温厚というかウェットというか、今でも話が合うので連絡取り合ってる。
帰ってきたあと、接客業と家庭教師のバイトはおすすめ。日本文化へのリハビリにちょうどいい。
あと今でも何とかTOEIC900↑をキープしてるけど、使わないと本当に錆び付くので自分なりの方法を模索するといいと思う。
意外に大変。
この前あんたが子供の頃に書いた作文を読んだんだけど、やっぱり昔からの作文を褒められてたし今見ても明らかに光るものがあった。あんたにはそっちだったんだね。お母さん間違えたね、、と。
教育熱心な家庭な母のもとに育ち、バレエピアノに加えて小学生からお受験でずっと家庭教師と進学塾通いだった。
何にも結果が出ず何をやらせてもやる気が無さそうな私はしっかり者でキツい性格の姉からは知恵○れ(放送禁止用語すぎるな…)とたびたび言われて育った。
その結果私には、私なんかが何をやってもうまくいくわけないという自己肯定感爆低の呪いがかかった。
本を読む事が大好きで児童書を買ってもらっては小躍りするような子供だった私。
確かに読書感想文や書き物系なんかでは毎回クラスの代表みたいのに選出されてコンクールで賞を取った事もあったな。
でもどのジャンルでも本物になれるや好きな事を続ける人は親がどう舵を切ろうとそちらに自らの力で行くんだと思う。
だからお母さんのせいじゃなくて、私が全く大した人間ではなかっただけ。
それでも私のような特性のある人間はいつも頭の中がごちゃごちゃしているし考えすぎて何もできないし、そんな時に文章は私を癒やしてくれる最大のツールになってる。何かをこうして書いている時は余計な警告音が頭で鳴っていないというか頭の中が静かなんだ。
この前あんたが子供の頃に書いた作文を読んだんだけど、やっぱり昔からの作文を褒められてたし今見ても明らかに光るものがあった。あんたにはそっちだったんだね。お母さん間違えたね、、と。
教育熱心な家庭な母のもとに育ち、バレエピアノに加えて小学生からお受験でずっと家庭教師と進学塾通いだった。
何にも結果が出ず何をやらせてもやる気が無さそうな私はしっかり者でキツい性格の姉からは知恵○れ(放送禁止用語すぎるな…)とたびたび言われて育った。
その結果私には、私なんかが何をやってもうまくいくわけないという自己肯定感爆低の呪いがかかった。
本を読む事が大好きで児童書を買ってもらっては小躍りするような子供だった私。
確かに読書感想文や書き物系なんかでは毎回クラスの代表みたいのに選出されてコンクールで賞を取った事もあったな。
でもどのジャンルでも本物になれるや好きな事を続ける人は親がどう舵を切ろうとそちらに自らの力で行くんだと思う。
だからお母さんのせいじゃなくて、私が全く大した人間ではなかっただけ。
それでも私のような特性のある人間はいつも頭の中がごちゃごちゃしているし考えすぎて何もできないし、そんな時に文章は私を癒やしてくれる最大のツールになってる。何かをこうして書いている時は余計な警告音が頭で鳴っていないというか頭の中が静かなんだ。
この前あんたが子供の頃に書いた作文を読んだんだけど、やっぱり昔からの作文を褒められてたし今見ても明らかに光るものがあった。あんたにはそっちだったんだね。お母さん間違えたね、、と。
教育熱心な家庭な母のもとに育ち、バレエピアノに加えて小学生からお受験でずっと家庭教師と進学塾通いだった。
何にも結果が出ず何をやらせてもやる気が無さそうな私はしっかり者でキツい性格の姉からは知恵○れ(放送禁止用語すぎるな…)とたびたび言われて育った。
その結果私には、私なんかが何をやってもうまくいくわけないという自己肯定感爆低の呪いがかかった。
本を読む事が大好きで児童書を買ってもらっては小躍りするような子供だった私。
確かに読書感想文や書き物系なんかでは毎回クラスの代表みたいのに選出されてコンクールで賞を取った事もあったな。
でもどのジャンルでも本物になれるや好きな事を続ける人は親がどう舵を切ろうとそちらに自らの力で行くんだと思う。
だからお母さんのせいじゃなくて、私が全く大した人間ではなかっただけ。
それでも私のような特性のある人間はいつも頭の中がごちゃごちゃしているし考えすぎて何もできないし、そんな時に文章は私を癒やしてくれる最大のツールになってる。何かをこうして書いている時は余計な警告音が頭で鳴っていないというか頭の中が静かなんだ。
「学校の勉強は、間違いなく自分たちの生活の役には立つけど、自分が仕事をする上ではなかなか役立たない」
「選挙には行くべき。だが、深く政治に関心を持ちたいなら、相当の覚悟を持つこと。想像以上に自分達がいい思いをしたいだけの人間が多い。まじめな人間はすぐ取り込まれる」
と認識しておくこと良いと思う
「二十歳からの20年間は、通知表の右側(人間性についての項目)が大切」「受験勉強は仕事の役に立たない」「大学に行ったら、友達をたくさん作れ。バイト(家庭教師塾講師除く)をしろ。女にフラれろ」「誤解を恐れずに言うが、大学の4年間、勉強している暇はない」
https://twitter.com/oginonobuya/status/1729446074790838438
https://ameblo.jp/nobuyavader/entry-12797678002.html
https://www.youtube.com/watch?v=OzZ3SNUmCYg
■グルーミングの話
話題に出てて色々思ったけど現実世界で言うと色々問題があるからグルーミングについての昔話をこっそり呟く。
ありがちなパターン、一回り年上の30くらいの塾講師と付き合った女子高生でした。今はもうとっくに別れて40代、年相応の相手と結婚して子どももいる。
両親は厳しかった。オール5タイプのよく出来た親と発達障害の姉(違和感ありありで育ち大人になってから診断された)に囲まれて育つ末っ子、両親は手のかかる姉のことばかりに思えて寂しかった。
何をやっても「あなたはやればできるのになんでもっとやらないの?」で褒めてもらえず色々飢えてた女子高生。自分に惚れて一身に尊敬を向けてたからそりゃチョロかっただろう。
今思えばたしかに恋愛だったと言われれば恋愛だったけど、それでもなおあれは手を出したらダメだろうと思う。彼がわたしにしてくれた事は沢山あったけど、周囲から孤立するようにも仕向けられてたなと思うし絶対服従な関係性だった。
目覚めたきっかけは大学を卒業して就職難の中やっと決まった内定先に就職しようとした時に、さんざん貶され馬鹿にされ反対された時に「なんだこの男は」と思ったことだ。
あ、さんざん偉そうなこと言ってるけどこの人私を閉じ込めようとしてるんだと思った。卒業してすぐ結婚しよう、俺が養ってあげるって言う相手のプランに息が詰まる気持ちにしかなれなかった。
私の親が偉かったなと思うのは、5年弱彼と交際してて1度だけ会ったそのシーンで一切反対しなかったことだ。
元々親に対して冷めた気持ちしかなかったあの時、生活全てを引き受けてくれるという男がいる中で両親にごちゃごちゃ言われたら、後先考えずに家を出てそっちに乗り換えて、結果なんの発言権もない言いなりな人生が待ってたんだろうなと思う。
時間はかかったけど目が覚めて「そうだ別れよう」と決意した後は両親が力になってくれた。
なかなかに別れ話は揉めたけど携帯番号もすぐ変更、家に電話がかかってきても取り次がない、手紙も捨てたり突撃されないように駅に迎えに来たりととかまあ守ってくれた。
ずっとずっと手のかからない子として内面拗れて生きてきたから「あ、この人たちは私の事守ってくれるんだ」とこの時はじめて実感できた気がする。
10年くらいして母親とあの時はねって話をしたら「いつまでもあんな全て言いなりなことに耐えられる訳ないって思ってた」って言われてああ申し訳ないことをしたなと思った。今親との関係は普通。娘としてはドライな方だと思うけど、別に悪くもない。
それとほぼ同じことしといて言えないけど家庭教師と娘が付き合ってって言うのは今親になって思うけど親の立場からして本当に最悪だと思う。
子どものことになると感情的になっちゃう気持ちもすごくわかる。
でも、わたしは両親が冷静でいてくれたおかけで、両親に祝われて結婚できたし子育てを助けて貰うことができた。反対に親も病院の送迎とかを娘にしてもらえた。感謝しかない。
彼に関して思うのは彼も子どもだったなと思う。30の独身男に、何も出来ない、あなたこそが神様だと全ての責任を任せて図に乗らせたんだから私も悪い。
彼は結局別れて5年後くらいに年上の女医さんと結婚したって噂で聞いた。末っ子で本当は甘えたい人だったのに無理して頑張ったてたんだろうな。
何も出来ないと丸投げしてくる私に狂わされずにお互い違う道を選べて本当に良かった。
愛情に飢えてる子どもがグルーミングされたら、そりゃ周りが見えなくなるのは仕方がないのかなと思う。
私は運良く逃げ切れた。どうか親御さんは味方になって欲しいと思う。
大人になってからの時期、逃げるかどうかは別として「何かあったら頼りなさい」って言ってくれる場所がいるのは本当に強い。私も自分の子に思うことは色々あるけど、育った子どもの逃げ場になれる強さを持ちたいなと思ってる。
他に稼ぐ手段が思いつかない。
疲れやすすぎて体調崩してフルタイムの仕事を辞めて今無職なんだけど、他にも不妊治療とか色々あってもうフルタイムやりたくない。ナメてると言われるだろうけど心からやりたくない。無理。
幸い理解のある夫君のおかげで衣食住は賄えてるけど自分にかかるお金くらいは稼がないといけない。
自分のスペックや経歴で稼ぐ手段として使えそうなのがwebライター等の内職くらいなんだけど、それだけじゃ収入的に心許なくてリアルでの仕事もしたい。
そう考えたとき、講師系バイトなら学歴の暴力で潜り込めるのではないかと思ったのだ。
ガチの障害者レベルのコミュ障が他人に物を教えられるのか? 教えられるとしても対人緊張強すぎて倒れないか?
そんな不安しかない状態にも関わらず発達障害特有の衝動性によって某学習塾チェーンの講師登録を済ませオンライン説明会に出て明日最寄りの校舎で面接?がある。
他にも色々あるがさっと思いついたことなど
* サッカーのコーチがだいたい狂人だったので、狂人とのやりとりに慣れることができた
* 社会人になってから狂人とのやり取りが増えたのでここで得た耐性が大変役に立っている
* やる気がなかったので結局勉強せずに塾においてあった小説を読んでいた
* 先生もちょうどよく適当だったので、毎回 G ガンダムの話をしていた
* 先生から勉強する気がないのに大学に行くなら工学部がいいよ、という話を聞いたので、そうした
* やる気がないとなかなか難しかった
* 親に「必修落とした〜」と伝えたら、留年させてもらえた
* 卒論が終わったあと小遣いで 1 ヶ月くらい海外旅行に行った
* 「英語できなくても結構なんとかなるもんだな」と「英語できると結構いいことありそうだな」を学んだ
* 英語学習へのモチベーションは社会人になってからそれなりに役立っている気がする
* 前半は家でゴロゴロしていた
* 後半はなんとなくプログラミングに興味が湧いたので勉強したりちょっとしたゲームを作ったりしていた
* これでなんとなくプログラミングできるようになったので適当に就職活動をしたら、2 社目で受かったのでなんとなく就職した