2010-06-10

周囲の人間には誰にも明かさず 嫁にすら言ってないが、

俺は、けっこう長いこと2ちゃんねらーだ。

というか2ちゃんねる以前も考えると、「匿名掲示板ヘビーユーザー」と言った方がいいかもしれない。

現在、30代前半。一応、あめぞうも知ってる。あの頃はYahoo Japanもまだ無かった。

 

しかし実社会における俺のキャラでは、全くそれを匂わせないようにしている。

人前でそれを出すのは なぜか恥ずかしいという感覚がいつの間にか根付いてしまっているのでそれは完全に封殺している。

 

なので、実社会ではごく普通人間で、普通に知り合いもいっぱいいる。

 

だから、その都度 人に勧められたり誘われたりして、

本名mixiもやってるし、本名ブログもやってるし、本名ツイッターもやってるし、

どれもそこそこ人に認知されている。

 

それでも、けっきょく今頃 こんなところに辿り着いてしまった。

 

匿名の是非みたいな話はたまにあるけど、

俺はやっぱり、いまだに 「匿名にしか」価値を見出せていない。

 

何かを気にして、何かに配慮して、書かれたもの 書かれなかった言葉

それは逆に見ると結局、「誰にでも書けるもの」であって、

名乗って自分を晒しているようで、実は何も言っていない。

名乗って責任を負っているようで、実際 負っているから、何も言えてない。

 

時には乱暴に、無神経に、それがたとえ人を傷つけるものであっても、 

何も気にせず、何にも配慮せず、思うが侭に書いたものの方が、

その人、その状況 その心境でしか出で来ないものの方が、

名乗っていなくても、よっぽど「自身」を晒してる ような気がしてしまう。

名乗らずに無責任なようで、しかしそれは、本音であり、思想であり、本物の良心であり、心の闇であり、「自身」だ。

 

書かれなかった言葉は、書かれないままだが、

書かれてしまった言葉は、不快だったら読み手が自分の目で、頭で、フィルターをかけて排除すれば済む。

読み手が心の中で「あらあら。」とつぶやけば、ほとんど全て解決できる。

 

それができるようになるまで、慣れが必要だったり、それがスキルだったりするのかもしれないが、

コミュニケーション」と言うんだったら、俺はやっぱり 「知りたい」んだ。きみのことが。

 

きみの本当のことを教えてくれる勇気が出ないんだったら、

 

だったら名前なんか出さなくてもいい。責任なんか負わなくていい。きみが誰であってもいい。

 

うわべだけじゃない、本当のきみと俺とのコミュニケーションをとろうよ。

それこそ、ネット上でしかできないんだから。

適当な、当たり障りの無い社交辞令は、実社会だけでもう十分だ。

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