研究者には社会性のない人が多いという話はよく聞きます。自分が大学にいた4年間をみてみると、研究の深いとこまでは何してるかわかんないのですが、しっかりしている人もいたし、そうでない人もいました。それは、約束や時間を守る、人と親しくする、挨拶をする、気を配る、自分が間違っていた時には謝るなんてことなど一般的なことです。中には、そういったことのできない(だけなら、まだいいですが・・・)社会性というか社会人として人としてどうなの???とう人も見たり聞いたりしました。例えば、学生を道具のように扱っている、お茶を入れてもありがとうの一言もない、研究しかしない、人と接しない、他人を侮辱する人間性を否定するようなことをを簡単に言ったり、etc.
それって何でだったんだろう?と今日は考えてみました。
恐らくいろんなタイプの人がいる、社会性に関しても、ある人、ない人、出来るけどやってない人、そういった人が、どうやって出来てくるのか?ということを考えてみました。
研究して業績があって、会議や最低限の講義をこなせばどうにかなってしまう(実力主義なこの部分は、個人的に好感がもてます)。周囲にも、社交的でなくて大丈夫な人が多いので許されちゃったり、本人も学ぶ気がない。
「僕って、理系なんで社会性なくって、イヤ~、人と違うからまいっちゃうなww」みたいなナルシズムがあるタイプ。(これは私がオタリーマンを読んだ時に、この種のナルシズムをプンプン感じて、作者の鼻の穴が開いてる映像が浮かびました。あ これ完全にオタリーマンの感想です。)
これが一番に思いついたこと。昔から勉強ができるタイプの友人には、3種類の人がいた。
1.知的探求心、処理能力が高く、勉強が好き(正に研究者向きの性格という感じですかね)
2.ちっちゃい頃はそんなに勉強しなくてスポーツや遊びに夢中で、塾や高校に行きだしてからポテンシャルの高さを発揮する。
3.人付き合いやスポーツは苦手。勉強でなら勝負できる、勉強面でしかやることを見出せない。また、勉強しなければいけないという思い込みが強い。
1.と2.は持ち前の処理能力の高さが目立つ人たち。
3.のタイプの人って結構な割合を占めていると思うんですよ。たまに、3.のタイプは、成績いいけどそんな頭良くないよねなんていわれることがあるが、私はそうは思いません。そのタイプでも、本当に頭がいい人はいます。
ただし、3.のタイプの人の社会性を問われると、根底にある(んではないかと私は思う)劣等感・嫌悪感や、思春期や青年期の複雑でやや乱暴な世代の中で人付き合いを学ぶ機会を拒否してしまったりで、コミュニケーション技術を育てず、結果的に社会性がなくなってしまうのではないかと思うんです。
(3.になれないタイプ、どこかで勝負できる場所を見つけたいけど、勉強やっても無理だったって場合には、別の場所を見つけることにはなるんだろうけど・・・うーんって感じ。)
3.の場合、他のレパートリーがないから、勉強に特化して掘り下げることが出来たんだろうし、そのレパートリーの無さが、研究能力を高め、その人を生かしているとも言えなくはないと思う。成長過程で何かしらの傷をおって、人から離れ、それでもそれが本人を生かしているとしたら、その混沌さがまた、人間らしくも思えて、昔理解できなかった大学研究職の方々とも少しは歩み寄れそうな気がしました。
いつも思うんですが、大学の教授の先生方って社会性無いとは思えないんですよね。 大きい研究プロジェクトを回しながら自分の実験も進め、論文を書き、科研費を貰ってきてさらに学...
学生時代に世話になった大学教授と、互いの仕事の愚痴を聞き合うようになって久しい。 増田の言うようなスーパーマンは登場しなくて、自分の研究に没頭して学内の雑事や学生の教育...