以前、身近だった年下の女の子がいて。
で、その子のことは好きだった。性的な意味でなく。
彼女はちょっと歪んでいた。ありふれたことなのかも知れないけれど。
決して異性に関心を持たれないようなキャラクターでもないのに、恋愛の、性的な関係の主体になることも、客体になることも自分に許さなかった。求められることはすべて拒み、自分の中にある求める部分は抑圧した。20代も後半になるまで。
俺にはそれが全部、痛ましく見えていた。
どうして彼女がそんな風になってしまったのか、の理由も見当はついていた。母親との関係だ。でも、そこに踏み込むのは躊躇していた。理由の一つは、彼女が俺を望んでいたから。
一人の大人として、性的なものを踏まえて他者との関係を結ぶこと。
これって死ぬほど面倒くさくて、でもだいたい性欲に引き摺られてその事を考えざるを得ない状況に若いうちに否応なくなってしまって、あれこれと失敗を重ねながらなんとなく学んでいくんだろう。他人のことはよく分からないが。
そして、それを切り離して拒んでしまえば、きっと楽なのだろう、という気もする。
ただ、それは大人としては歪んだ形ではないのか。
本当はそんな事判りはしないのだけど、当時の(さっぱりもてた訳ではないがそれなりの日常的な恋愛沙汰の中にいた)俺は彼女の姿を見ながら勝手にそんな事を考えて胸を痛めていた。血の繋がらない人間を相手に、愛する事、愛される事を(セックスも含めて)試みるべきなのにな、とか思っていた。
余計なお世話だ、で話が終わらないのは、彼女の中のそういう壁、みたいなものを打ち破る力を俺が自分で持っているのを理解していたから。彼女は俺には受け入れられたいと思っている。相手が俺なら、性的関係も受け入れる(彼女の母親が俺の事を認めていたから、彼女が自分の中にある規範を乗り越えるのも比較的容易だろう)。
ただ、俺はそうしたくなかった。彼女は十分に愛らしくて魅力的だとは思うが、俺は彼女との間にそういう関係を結ぶことを望まなかった。これはもう単純に、俺の女性の好みと性的嗜好が原因。
そうこうするうちに彼女の状況が激変した。彼女にとっては世界の半分が消し飛ぶような激変。具体的に言うと母親の重病。
俺はもうその頃彼女の身近にはいなかったが、電話を受け取る事はできた。連夜彼女は電話で苦しみと悲しみと不安を俺にぶちまけた。俺が彼女と逢えないことを、彼女の苦痛を受け止めないことをなじった。俺は俺で、電話という状況の中で彼女に言える精一杯の言葉を口にして、同時に彼女と俺の間にある距離に感謝した(これはひどく邪悪な心理であるように自分では感じられたのだが、どうなのだろう)。
来るべき時は来る。彼女の母親は死んだ。彼女は電話口でその事を俺に伝えた。
連夜の電話は途切れなかった。彼女はもちろん、なくなってしまった自分の世界の半分を埋めるべく努力を始めた。そして俺は電話口で、求められるがままに彼女を支える言葉を吐き続けた。
もちろんそんな事は俺の自己満足以上のものではない。その事は判っているから自分でも気持ちが悪いし、ぶっちゃけ生活にも支障が出てきたので、彼女ができるだけ早く立ち直って電話をかけて来なくなるのを望んでいた。
それでも、彼女にできるだけ幸せでいて欲しい、と思う気持ちは別に嘘ではなくて。そもそもこういう状況になったときに俺しか頼る相手がいない、と言う状況に自分自身を追い込んできた彼女自身の事が、恨めしく。
彼女は立ち直りに失敗した。電話口で自殺を仄めかすようにまでなった。
自分でも本当に愚かしいと思う。
母親をなくした彼女は、なんとか自力で大人の女として独り立ちしなければいけない。それに失敗すれば、それはもうそれだけの話なのだ。それが歪んだ人生なのかどうなのか、誰にも判りはしない。俺はそこで切り離すべきだった。
俺は彼女と会った。会っただけでは立ち去れず、彼女の家に泊まった。
もちろん楽しくなんかない。気持ちよくもない。処女を相手にしたセックスなんて最低だ。こちらがその行為に込めたどんな気持ちだって、想いだって伝わりはしない。抱かれた事は嬉しいだろうけど、その嬉しさはその場で実際に彼女に触れている俺に向けられているんじゃない。俺はここにいるのに、どうせ彼女は「想い続けた男に処女を捧げている自分」の事ばかり考えている。
そして俺は自分の場所に帰った。そう簡単には会えない、離れた場所へ。
彼女は俺を求め、苦しみ、そして俺を恨み、呪った。そして時間をかけて立ち直り、別の男を受け入れ(あるいは受け入れられ)、結婚した。まったく連絡は取っていないけれど、先日来たメールでは幸せそうだった。
客観的に見て、俺のした事は最悪だ。
愛してもいない女を相手に、その女が普通の精神状態ではないことにつけ込んで、その後の彼女がどれだけ苦しむのか想像がついているにも関わらず、セックスに及んだ。
多分これは彼女からすると、レイプと変りない、犯罪的な行為だ。
予想通り彼女は深く傷付いた。彼女からすれば、セックスを行った後は彼女のすべてを俺が受け入れ、消し飛んだ彼女の半分の世界は俺が埋める、と言う事になるはずだったのだろう。それは実現しなかった。俺が実現させなかった。
当時の俺からすれば、彼女がこれから母親を離れて独りで生きていくに当たって、彼女が唯一受け入れられる方法で(そして俺が唯一できる方法で)彼女の歪みを取り去った、と言う事になる。そしてそれは結果的に成功した。でも彼女にとってはどうだ。彼女は付け入られた、裏切られた、と感じただろう。
今はそう思っていないらしいのが、救いと言えば救いか。
セックスと言う行為が持つ意味を共有するのは、当事者同士でも多分ひどく難しい事なんだろう、と今でも思っている。そしてそれが共有されない限り、すべての性行為はレイプとしての一面を持ち得る。もちろん俺なんかよりも遥かに高いコミュニケーション能力を持っている諸兄姉にとっては別なんだろうが。