日本の家族の概念は別に血統主義じゃないんじゃね? - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20081210/p2
を読んで。
『「娘をもっている親で、若衆が夜這いに来ないようなことなら、親のほうがそのこと
を苦にした」ということを高知の西の端の中村で、土地の教育関係の人からきいた。
熊野の山村で、「複数の若衆が行っていて、もし娘さんが妊娠したりするとどうなる
のですか」ときいてみたことがある。故老はおだやかな表情で、「そういうときは娘
に指名権があるのです」といった。故老によれば、たれのたねであるかは問題ない、
たれもが村の若衆である、たねがたれのものであっても似たようなものだ、という思
想が基底にある。娘は、自分の好きな感じの、あるいは将来を安定させてくれそうな
司馬遼太郎が考えたこと9 南方古俗と西郷の乱 より
そのあと、司馬は「たねに対する不厳密性」についての考察をひろげて、
アジアの遊牧民族には骨への信仰(おとこのたねが子供の骨を作る、といった感じの)
があり、朝鮮は中国の儒教社会を取り入れながらも、そういう点は
そういう意味で少なくとも西日本の農村漁村は南方的だと述べている。
そしてまた、文章は本題の薩摩の南方的な気風に戻る。
この文章だけを鵜呑みにするわけにはいかないけれども、
そういう「たねに対する不厳密性」が南方の気質によるものだとしたら、
ここはよく考えなきゃいけない問題なんじゃないかな。
同じ「日本」として捕らえているわけだけども、
そういう過去の変遷を踏まえずに「日本の家族の概念」ってひとくくりに
論じてしまうのは、乱暴なんじゃないかなと思った。
もちろん、天皇家なんかは、血統を重視していたのは間違いないわけだし、
血統を重視する考えが存在していたことは間違いない。
いろんな概念が混在していたと見るのが、やっぱり妥当だよね。
一日で全国どこにでもいけるような今の
かつての日本は、もっともっと広かったんだから。
だからといって過去から脈々と続いてきたか
どうかは違うんだよ、って話でした。まとまってないね、ごめん。
まあ農村とかだと家も何もないだろうしなあ。豪農とかは別かもしれないけど。地域差もあるし時代差もあるよね。 でも確実に血縁より家を重視してた部分はあったと。 養子に家継がせ...