出典というか原典は、
レイチェル・カーソンの著した遺作「センス・オブ・ワンダー」からか。
曰く、子供のころ誰もが持っている、自然の神秘や不思議を感じ取る感性を大切にせよという主旨。
これが転じ、直訳「不思議感」から、広義解釈として、世の中の様々なことに対して、不思議を感じる感覚とされる。
ちなみに、はてなキーワードでは、というと、
と、説明される。
そう、誰しもが幼少時に抱いた好奇心。
いわゆる「どちて坊や」の「どちて」の本質が、これなんすかね。
とはいえ、あくまでセンスということから、理外の理なのであり、あくまで感情なのか。
まぁこの辺は、どーでもいいやヽ(・∀・)ノ
稚気という言葉がある。端的に子供っぽい、幼稚ということである。
ネガティブに使われるシーンが多いが、「稚気愛すべし」なんていう成句もある。
なんでこんなことを書いているかというと、
ここ1年、つとに、
○○○は、大人になったねぇというのを耳にし過ぎているからなのだ。
あ、これって褒め言葉なんだろうな・・・と思いつつ、なんかアレなのだ。
ちなみに、本日も2回ほど言われた。
まるで覚醒したアルジャーノンのように生活した日々以来、
aufheben:アウフヘーヴェン。すなわち、廃棄・否定し、そして保存し、高める。
正確な定義付けには、いろいろあるが、
違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと。
この、ある意味、現代辞書的な解釈を個人的には採用していて、その意味で信条としているのだ。
が、昨今、この止揚が、どうも、高次化という前提ではなく、低次化しているのではなかろうかという自覚があるのだ。
すなわち、否定しきれず、結果「妥協」という決着で幕引きということである。
・・・・あ、なんかあらぬ方向へぶれたのでタイトルに戻す。
っつか、つかですね、
要は、センスオブワンダーを忘れちゃいけないよねっていうことですわ(大ワープしてみた)
しかし、ほんと、
こんなことをダラダラ考えられるっていう環境は、
幸せのなにものでもないなということで。