2008-02-26

もんじゃ焼き屋と彼女写真

昔,行きつけの店を出禁になったことがある。近所のもんじゃ焼き屋。帰りしな,店を一人で切り盛りしてたおばちゃんに,「悪いけどもう来ないでくれる?」と言われた。必死に平静を装って「え・・・なんで?」と聞いた僕に,彼女は「んー・・・なんか好かん」と答えた。

出禁になったのは高校の頃。その店には中学時代よく行っていて,高校に入ってからはあまり行ってなかったが,ある日なんとなく行ってみたら中学時代の友人が何人か常連になっていて,それから通うようになった。

ただ,実は僕は招かざる客だったような気はする。昔よく行っていたということでおばちゃんには「こうちゃん」などと呼ばれ,受け入れられているという思いがあったが,常連連中からはそれほど受け入れられてなかったと思う。彼らは当時の僕からしたら少しヤンキーっぽかったし,常連同士の絆のようなものがあった。僕はそれに憧れて,無理矢理参加しようとしていた。そういう僕の下心を彼らは見抜いていただろう。しかし表面上は受け入れてくれていた。

常連の1人に,Hという女の子がいた。中学時代,Hとは同じクラスだったことがあった。Hは,クラスで少し浮いていた。意識の高い子だった。それが裏目に出たんだろう。あるとき,研究授業やらで,道徳の授業で討論会をやることになった。彼女は議長に立候補し,僕は副議長になった。彼女気合は相当なもので,何度か居残って討論会の練習をしたように思う。

今思えば残念なことだが,そういう一所懸命な様子を,否定的に捉える風潮があのクラスにはあった。彼女のやる気は空回りしていた。討論会はそれなりに進んだが,終わったあと彼女は泣いた。クラス全員の前で。みんなちゃんとやってくれないと彼女は泣いた。それで周りが反省するかと言うと,むしろ白けていた。正直言って,当時の僕も少し白けた。そういう時代だった。そういう学校だったのかもしれないが。

もんじゃ焼き屋で彼女と再会したとき,少し驚いた。可愛くなっていた。女子高生になると変わるんだなと思った。

彼女は,僕と好んで話をしてくれていたように思う。もんじゃ焼き屋でも愛想が良かったし,学校からの帰りに電車で一緒になったときとかも,笑顔で話しかけてくれた。あるとき,高校の友人と一緒に電車で帰っていたとき,彼女が話しかけてきたときは,鼻が高かった。もてない僕らみたいな人種にとって,女子高生が話しかけてくるというのは相当なものだった。高校の友人はもう少し先の駅だったので,僕と彼女が先に降りた。これほどの優越感はない。

彼女どんな話をしていたのかは全く覚えていないが,それなりに楽しく話していたように思う。彼女常連の中でも居場所を築いているように見えたので,彼女と仲良くできているというのは,僕にとって有利なことだった。関係性のアイデンティティというやつだ。僕は「Hがやつを気に入っているらしい」という居場所を獲得しているような気がしていた。

それがどん写真だったかよく覚えてない。とにかく,ある日いつものようにもんじゃ焼き屋に行った僕に,彼女写真を見せてくれた。どこかに行った記念の写真だったと思う。10年ぐらい前の話で,写真というのは今よりも貴重なものだった。携帯写メとかと違って,ちゃんと金を出さないと写真というものを手にすることができない時代だった。だから,僕はわくわくしながら写真を見た。

彼女恋愛の話になったことがある。彼女は,常連の中に好きな人がいるという。そういう話が大好きな年頃だ。誰だろうと言いながら,それらしい人物の名を挙げると,彼女は「違うー」と言った。これは,一通り挙げれば分かるかもしれないと思い,次々と常連の名を出していくが,彼女は違うと言い続けた。もう誰も思いつかなかった。僕自身しか。しかし僕のわけがなかった。当時の僕は不細工で,自信がなくて,女の子と喋るのに汗をかくような気持ちの悪い男だった。少なくとも当時の僕は僕のことが嫌いだった。だから,そのとき,僕は僕の名前を彼女に聞かなかった。

彼女の写った写真は輝いていて,僕はその写真をじっくり眺めたくなった。家に持ち帰って何度か見たかった。それで,悪いことだという意識は少しあったが,かばんに入れて持ち帰ってしまった。家で見る彼女写真はやはり素敵だった。

次の日,店に行くと,写真がなくなったという話をしていた。そのとき初めて,やっちゃったという気持ちがわいてきた。そこで自分が持ち帰ったと白状する勇気はなかった。おばちゃんに「こうちゃん,知らない?」と聞かれ,僕は「知らない」と答えた。完璧演技のはずだった。しかしその日の帰りしな,おばちゃんから,出禁を言い渡された。

それ以来おばちゃんにも,Hにも会っていない。店の前は何度か通ったし,入ってみようかと思うこともあったが,勇気がわかなかった。笑顔で入ってみて,「何しに来たの」ともし言われたら,返す言葉が思い当たらなかった。Hはもしかしたら当時の僕を好きでいてくれたのだろうか。それとも僕が思い当たらなかった誰か他の人のことが好きだったのだろうか。今ではそれは分からない。おばちゃんは当時常連母親存在だったから,Hの恋愛相談も受けていただろう。そのおばちゃんが僕を出禁にした以上,Hの好きな相手は僕ではなかったのだろうとも思う。

そのときの写真はもうない。多分,出禁になったあとに,泣きながら捨てたような気がする。情けない時代だった。気持ち悪い僕がいた。しかし,なぜかあの頃のことを思い出すと,その映像は,妙に綺麗だ。

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