はてなキーワード: 煙草とは
だから程度問題だっての。
「迷惑」を補って余りある「価値」があるなら許容されるんだよ。
程度問題?
元記事には
いちばんの問題は、煙草になんら価値がないことなんだ。
「なんら価値がない」って書いてあるぞ?
これって程度問題じゃなくて、まったく価値がないって言ってるんだよね?
だから違和感を感じて突っ込んだわけなんだが。
デメリットを考えたらそれを許容するだけの価値があるとは思えない、
とか書いてあるならわかるけどさあ。
それならまだ「嗜好品としての価値はある」という部分までは否定してない。
料理屋さんに関しても住み分けよくしてるし、最近は前面禁煙も増えてる。
自分は吸わないけど煙にそこまで抵抗がないので
(そんなに酷い人にあったことがないからかも知れない)
すごく喫煙者に困ってる人の気持ちは判りかねるんだけどさ。ごめんにゃ。
うーん、体にしみつくほど吸うからいかんって話じゃなくて、どういう場面で吸うかってところで、他人を不快にしている喫煙者が問題って話。
通勤路で20秒に1回しか吸わない煙草を持って歩いているとか、
地下鉄の出口を登る階段の元で煙草に火をつけるとか(これは酸欠になった脳にさらにダメージくわえられるので本当にきつい)、
とてもおいしい料理の店で食事中、臨席からの食後の一服の臭いで料理を台無しにされるとか。
http://anond.hatelabo.jp/20070509150604
そうですね。だから他人にどれだけ気を遣えるかというマナーに帰結するんだと思います。
女性喫煙者は匂いがしみつくの気にするし。一日数本の人の匂いはきっと気付かれもしないだろうし。
じゃあ問題になってるのはヘビースモーカーな人か。あ、当たり前か。
服や身体に匂いがしみついてるとアウトなのかな。
判った!「煙草の匂いは俺の体臭・ヘビースモーカーVS自分の命をかけてもいい・超超嫌煙家」の図式わけだ!
その他の人たちに関しては究極的な主張が感じられないので放っておこう。
どちらか一方になる覚悟が決まるまでは口にバッテン書いたマスクつけといてもらおう。観戦席で。
いちばんの問題は、煙草になんら価値がないことなんだ。
俺は非喫煙者だし、どちらかというと嫌煙派なんだけど、この言い方はちょっとなあ。
煙草を吸うことによって満足を得る人間がいる以上は価値がないとは言えない。
それを否定するとなると、全ての嗜好品や娯楽は否定されかねない。
ゲームは何の役に立つ?
芸術は何の役に立つ?
コーラは何の役に立つ?
個人の満足を得る以上の価値はないよね。
それを言っちゃあだめだよ。
喫煙タカ派が大喜びして、喫煙者は煙草税を払ってる!その税収がなくなったら日本はどうなる!って言い始めるから。
個人的には、医療の自己負担額を非喫煙者は喫煙者より引き下げてほしい。
自分で健康であろうとする人を優遇してもいいと思うんだけど。
いちばんの問題は、煙草になんら価値がないことなんだ。
みんな車がなくなったら困る。
だから排ガスが煙たくっても「自動車を全面的に禁止しろ!」とは言わないわけだ。
だから「ブサイク面は見るに堪えないから皆殺し!」とは誰も言わない。
そうすると社会が立ち行かなくなるから。
煙草は?
何の役に立ってる?
嫌煙家の人は煙草の煙だとか匂いだとかが許せないんじゃないの?
別にマナー云々の話はしてないんじゃないのか?
嫌煙家の人が「煙」「匂い」以外に「喫煙者」に対して文句を言うからアンチ嫌煙家が生まれる。えーとえーと、
アンチ嫌煙家の一部:「ルール守らないのは一部の喫煙者だけであとはルール守ってるだろ!!!?」
アンチ「嫌煙家アンチ」:アンチ嫌煙家の一部(↑)に対して不満
小学校の時、日記の宿題が凄く嫌だった。というより全く書かなかった。先生にいくら叱られようが居残りで書くように言われて提出するまで帰さないと言われようが断固として書くのを拒絶し、結局一文字も書かないで小学時代を終えたように思う。
嫌というか、書かなかったというよりは「書けなかった」という方が正しかったように思う。要は先生に読まれる事を想定して書くネタやら言葉を慎重に選んで書いていくという作業が必要なわけで、そんな高度な技術は当時のハナタレ小僧の自分には到底不可能だったという事だ。
もしも先生の言う「何も書くことが無いって、嘘もいい加減にしなさい」「ありのままを書けばいいじゃない」というのを真に受けて書いていたならば、こんな日記になっていた筈だ。
今、驚いているのが小田急ロマンスカー。ちょっとまえに全面禁煙になったのね。でも、喫煙車だったのが単に禁煙車に看板が変わっただけなので、元禁煙車はヤニ臭いまま。凄くクサいの。1時間ぐらいしか乗ってないのに吐き気がするぐらい気分が悪くなった。
あああああ、世の中汚して生きてきたんだなとorzな気分になった。