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2008-05-13

中国凄い

四川大地震被害者一万人!?ってびっくりしてたら、1976年にもっと凄い唐山地震てのがあって、30万人死んだって。

すげー!スケールが違うぜ!

70年代なんて最近じゃん。

やっぱり、死人の数でもはんぱねーな、中国

2008-03-31

ちょいと借りますよ

idの方、プライベートモードで使用中なんだが、私信出さないといけなくなったんで、ちょいと借りますよっと。

関係ない人読んでもつまらんよw

お返事

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080330/p1

>「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性

なんというわら人形。一番本質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。

チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、本来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性

ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。

要するに、自分の信奉する政治ポジション囚人になった馬鹿どものウチゲバで、チベットを仮想敵イデオロギー陣営の攻撃の道具として使うせいで、普通チベットに懸念を持つだけの人の気持ちの発露を邪魔すんなよということ。まぁ普通ならそれで分かるんだが、一貫性を具体的に示せといってるんで、もうちょい詳しく説明しておくかね。

世界各国の民主化されたメディアに接する事の出来る所に住む普通の民衆が、パレスチナや昨年のミャンマーや今回のチベットといった場所で人民が生命の危機に晒されている不正義に反応して緊急的な対応を求める意思をネットを通じて表明したりデモを行ったりする訳だ。

そのような注視の蓄積は、国際的な圧力として該当国・関係国に自制を、対応の緩慢な自国の政府に対応を促す事に繋がると信じる。市井の人感覚とはそういうものだ。

ところが、そういった時にどうもいろんなイデオロギー的な主張の臭いを放たずにはいられない連中が、その表明行動に関与する事を目論む訳だ。

例えば、サヨ系平和団体が憎くて仕方ない連中がいるようで、こぴぺ発祥と思われるものからチベット事件のまとめガイドラインのようなヘイトサイトまで立ち上げて、ここぞとばかりにサヨ系平和団体と呼ばれる団体の欺瞞を喧伝する事に血道をあげている訳だ。または、チベット虐殺抗議デモin大阪(撮影日08/03/23)このようにデモにかこつけて竹島のためにチベットをダシに使う屑とか、他にも色々ウンザリさせられるものがあるだろう。

その逆に、「チベット問題との温度差をすげえ感じた」このエントリはどうだ。

チベットを枕にしたことで、生命に関わる緊急性も自由度も違う、直接関連する属性といえば少数民族に対する弾圧という話を「もしチベットについて語るのであればアイヌについても同じレベルで語れ!」とばかりに賭け金を引き上げ、市井の人チベットへの素朴な感情の表明に対して冷水を浴びせているのに他ならない。

そんな事は無いって?いや、そうなんだよ。善良な市民と自分で名乗るほど恥知らずではない善良な市民はだれもチベットに声を上げる時にイデオロギー問題まで関わりあいたくないんだ。君が、『なぜなら、最初から「チベット「も」」問題であることを認めているからだ。』と主張し、『主観的には、一貫したものを作ろうと考えている、行動しているつもりではある』のであれば尚更、チベットコミットする際には、今は緊急性と結束したシンプルメッセージが要求されている事だと判断をして、アイヌに関する問題については、絡めない細心の努力をしなければならないんだよ。

わしがチベットについてはてぶで一貫していっているのはそれだけの事だよ。だから、わしの中でとりたてて「中国が嫌い」なんていう要素を見出す事ができないんだ、期待に添えなくてすまんね。

アイヌについて

まぁそうは言っても、アイヌについて言及すべきではないという主張については不満は残るだろうし、そういえば

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080326%23p2

この辺でカリカリきてる人も居るようだし、「抑圧者側」とか選べない属人論法という煽りもあるので、件のアイヌデモについて思うところも語っておくか。

まずは件のデモの、配布されたパンフレットにあったという主張をみてみる。

アイヌウタリ連絡会が街頭アピール

> 差別は貧困を拡大し、貧困はさらにいっそうの差別を生み、生活環境、子弟の進学状況などでも格差をひろげているのが現状です。

この主張は要するに、現代文明日本人として普通の水準の生活を送らせろという主張なのだから、アイヌである事を主張するのは矛盾してるんじゃね?

このグループの主張を見るに、アイヌゆえにというのがあるが、それこそアファーマティブアクションの負の側面がここまで明らかになっている今なお、部落差別利権構造と同じ泥沼へ、自ら色をつけて堕ちていくようにしか思えない訳で。痛いニュースに取り上げられた反応は、チベットとは関係なくて、そういう手口をやる人間特有のあさましい部分を見透かしての反応なのではないかな。童話青い鳥の食事に飛びついてしまった事を認められない自分の内面までは、社会には救えないんだよ。

それに対して、わしの言ってるのは、イオル(狩場)ごと返還して生活が成り立つように、アイヌアイデンティティに対して本当に誇りを持っている者こそ望む物を渡すべきだと主張してるのだが。

そもそも、大部分のアイヌ二風谷ダムの立ち退きには生活向上を引き換えに同意した訳で、その中で強制収用と戦い抜いたのは、二軒だけだったというのは前提でよいよね?そうやって誇りを守った萱野茂も亡くなった状況で、本当に返還して、覚悟なしに単なる山地でどう過ごすのかと。本物のアイヌの生活はサスティナブルな生活様態の先達として敬意を払うべき対象であるが、その厳しさも想像できるからこそ、実践する覚悟は問われても仕方ないんでは?覚悟が無いなら、文化は博物館の中に入れて、日本人人権の範囲で生活向上を求めるしかないじゃない。

二風谷

地図を見てたら、この地域なんか典型的な間延びした生活前線であるな。持続可能な生活様態への変革が至上命題だと常々主張しているわし的にも、是非ともこの近辺の非アイヌ住民には、平取ダム作れとかゴネる下流住民ごとまとめて、集約されたコンパクトシティへと移住して頂いて、北海道経済を疲弊させているインフラコスト無駄を省ければ効率もよくて一石二鳥でもあり、実現していただきたいな。

2007-08-30

原武史『滝山コミューン』の書評見っけ

http://d.hatena.ne.jp/solar/20070702

>四方田さんにしても原さんにしても、よくもまあここまでと思うほど、彼らは子供時代のディテールをよく記憶している

>私にはこの頃の記憶が、もはやほとんどない。記憶がほとんどないということは、とても幸福だったということなんだろう

詳細に残っている記憶が必ずしも辛いものだとか苦痛なものとは限らない。そういう類の記憶は、むしろ忘却されてしまったりなかったことにされたりすることもある。例えば堤清二などは父・堤康次郎子供の頃からそりが合わず、成長してからも確執が続いた。年を取ったせいなのかもしれないが幼い頃の思い出が殆んど無いのだとか。

>(この本は)「政治の季節」と「私生活主義」のせめぎ合いが後者の勝利に終わったとする「戦後史観」への異議申し立てである。

>しかし、「生活者」としての原武史は、まさにその「私生活主義」の立場から、

>滝山地区に色濃く残った「政治の季節」に対峙している。そして間違いなく、ここでも「私生活主義」が最終的には勝ったのだ。

少なくとも、読者の中でも相当数が、小学生政治の季節に主体的に参加する(させられる)ことの問題性及び危険性を痛感するんじゃないのかな。私生活主義に立たないというか、立ちたくない小学生などそうそう居るとは思えないのだが。。

あんまり関係ないが、学者だって政治的発言を繰り返すなら、それこそ参議院議員にでも立候補するべく売り込めばいいのにと思う事もある。原はあんまり現実政治に言及する感じの人ではない印象があるが。

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