「原則論」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 原則論とは

2008-06-09

唯一神宅間守さまの功績


及びそれによる影響
  • 池田事件という暴力による闘争を行い、金持ちのガキ数人を殺し、痛撃を与えた。
  • 冷徹な現実認識により、不条理、理不尽を直視し、殺伐とした世を生き抜くためにふさわしい思想を遺した。
  • 道連れ殺人という現代人すら納得させうる、最上級の誤魔化しのない救済を示した(幸せになれなくとも、幸せなやつらを殺すことはできる)。
  • 嫌な思いばかりさせられてきたなら、死ぬより殺せ、という個人にとっての貴い能動的態度を示した。
  • 原則論的な、犯罪暴力の否定に囚われていた日本人にそれらに対する懐疑をより強く促した。
  • 日本の世間と一生涯にわたり抗争を繰り広げた。
  • フォロワーを次々と生み出している。
  • 結果的に困窮者、絶望者に闘争性を促し、真の希望を与えた。
  • 困窮者が然るべき闘争を行うときの行動、思想基盤を提供した。

2008-03-06

沖縄少女事件とイージス艦事故の共通点

「いや、原則論としてはそれで正しいんだけどさ、でも被害者も自分の安全のこと考えてなかったでしょ」

ということ。

確かに「大きい船・艦は小さい船に配慮して操船する」とか「いかなる状態でも女性に性的乱暴してはいけない」とはいっても、10倍のトン数のイージス艦の前を通ったり、夜中に出歩いたうえアメリカ軍人のバイク2ケツしたらどうなるか分かるでしょう、ねぇ。

http://anond.hatelabo.jp/20080306110110

2007-03-03

ありがちだという話

http://anond.hatelabo.jp/20070302232902

例を挙げるとキリがないけど、一個一個はわからんでもなくない?

原則論って切って捨てるくらいだったらスルーすればいいのに。

2007-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20070217113136

「AはBです」なんて簡単に言い切れるものではないってことじゃないの?

たいていの問題は、「AはBのときもあるけど、場合によってはCのときもあるし、もしかしたらDかもしれなくて、それはわからない」という結論になる。

いや。そういう言い方した瞬間に、言った本人の思考はそこで停止する。それが一番まずいと思う。

世間一般の風潮を論じることと原則論を一緒にしてはいけない。

世の中には、やたらと「結論」を重視する奴がいて、結論曖昧だと「何が言いたいのかわかんない」なんて言い捨てていくわけです。

だから、それぞれが部分だけを主張するようになるんですね。

結論のない」議論こそ、「部分だけを主張」の典型じゃないのか? 原因結果が逆になってる議論の典型と思う。

たとえば、

『「青信号で渡るべき」なんて言えないんじゃないの? 赤信号で渡るやつもいれば、黄信号で渡るやつもいる、なのに青信号で渡らなければなんてルールを決めようとするから、「赤信号渡る行為はルール違反だ」とか言うヤツが出てきて…だから事故が起こるんですよね』

みたいな。

2007-01-16

ホワイトカラー・エグゼンプションについて

ちまたで話題になっている「残業代ゼロ法」こと「ホワイトカラー・エグゼンプション」について。

大昔、労働における生産量というものは労働時間にほぼ比例していた。例えば畑を耕すのでも工場で物を組み立てるのでも、個々人に差はあれどそれは微差の範囲内で、基本的に長い時間働いた人ほど労働量が多いことになる。このような労働体系下においては、対価としての賃金は労働時間によって支払われるのが妥当と言える。

だが、情報化が進んだ現代では「時間=賃金」という等式は既に崩れている。例えば私の所属するエンジニア業界でも、同じ時間働いても個々人のスキルによって生産量が数倍から数十倍も違ってくる。1時間に3の生産量を上げられるAさんと、1時間に1の生産量しか上げられないBさんがいて給料が同じだとして、「時間=賃金」という対価の与え方では、同じ金額を稼ぐのにAさんはBさんの3倍の量の仕事をこなさなければならない。このような不平等をなくすために登場したのが「成果主義」であり、「ホワイトカラー・エグゼンプション」なわけだ。

ホワイトカラー・エグゼンプション」は残業代ゼロ法などと揶揄されて暗黒面ばかりが話題に上がっているが、そもそもの目的労働法に記載されている「1日8時間、週40時間」という枠を取っ払おうというものだ。この法律施行されることで、労働者会社に9時から5時までいなければいけないという縛りから除外(エグゼンプション)され、各人が自分にあった労働方法をとることが出来る。

例えば、幼い子供を持つ親御さんたちは、決まった時間会社にいなくてもよいので、打ち合わせの時だけ会社に出向き、後の仕事は持ち帰って家でお守りをしながらやる、といったことが出来るようになる。仕事が物凄く出来る人は、一日2時間働いたらさっと切り上げ、残りの22時間プライベートに回すことが出来るようになる。持ち帰りの作業が一週間分ほどたまったら、ノートパソコンとともにのんびりと旅に出て、旅行の合間に仕事をするということが出来るようになる。安倍総理が「この法律施行することで出生率が上がる」といってネチズンの失笑を買っていたが、彼の意見はあながち間違っていないのだ。

だが、こんなのは単なる原理原則論理想論であって、実際の運用上でもちろんこんなパラダイスのようなことが起きるわけはない。

昨今の情報漏洩ブームのおかげで在宅勤務なんかは夢のまた夢。仕事が物凄く出来る人は出来ない人の5倍10倍の量を押し付けられ週日会社に縛り付けられ、旅行なんかは行く暇すらない。労働者はますます困窮する。

ホワイトカラー・エグゼンプション」の根底にあるのは、働いた時間など関係ない、生産量で人を評価しよう、というものだ。これ自体は間違ったものではないけれど、日本の企業風土では幾ら生産量を上げても決まった時間会社にいなければならないという暗黙の了解が既に出来上がっている。うちの会社フレックスタイム制で、仕事が終われば3時半に帰ってもいいのだけれど、まずそんな人はいない。定時まで仕事をして、残業をしてやっと帰れるというのが社員の「当たり前」になっている。私なんかは仕事が暇な時は毎日定時に帰れるけれども、あちこちの島で火の手が上がっている職場でそんなことが許されるわけはなく、会社に居残って資格勉強をしたり趣味のツールを作ったりしている。馬鹿馬鹿しい話だが、幾ら生産量を上げても早く帰れば「あいつは駄目だ」と思われるのが日本の企業風土であって、これだけはどうしようもない。実際私も「俺の会社は毎日定時に帰れるぜ」とか聞いたら脳たりんの集まりなんだなと思ってしまうしね。まあその逆もまたしかりだけど。

こんな状況下でホワエグなんかを導入したらますます惨状になるのは目に見えている。現在の企業側の認識としては、「サービス残業はいけないことだが仕方がない」という辺りだろうが、この「いけないことだが」の部分が結構大きくて、ホワエグによってサービス残業が合法化されてしまえば日本労働環境地獄と化す。何せ過労死をしても会社側は何ら責任を取らなくてよくなるのだ。良心的な会社ならともかく、悪用しようと思えば幾らでも出来るこの法案、ストッパーが完全になくなってしまうこの法案は大変危険だと言わざるを得ない。「現在残業代出てないし、別に構わんよ」と嘯いている人は、もっと危機感を持ったほうがよいと思う。

先輩の会社のお偉いさんなのであまり遡上にあげたくないのだけれど、経団連の御手洗氏がよく言う「国際競争力の向上」というのは、つまり「安い賃金で多くの労働を」という以上の何者でもなく、こんなバイアグラのような方法で経済を伸ばそうと言う発想は極めて幼稚で短絡的である。日本労働環境の向上なくして、経済力の向上などあり得ないのだ。音楽でも何でもそうだが、「人間的である」というものは普遍的で強い。法律も一緒で、非人間的な法律、そこに人間性や国民性が反映されていない法律凶器と化す。今回の国会では廃案になりそうだが、来年以降も経団連自民党の動きから目を離してはいけないと思った。

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