「トンネル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: トンネルとは

2007-06-26

自転車日本一周終え帰宅途中に事故死 長野の80歳男性

 25日午後1時50分ごろ、長野県小谷村北小谷国道148号外沢トンネル内で、自転車日本一周旅行をしていた、同県小川村瀬戸川の無職原野亀三郎さん(80)が、同県小谷村中土、運転手、田原登さん(22)の大型ダンプにはねられ死亡した。原野さんは日本一周を果たし、自宅へ戻る途中だったという。

 大町署によると、トンネルは片側1車線の緩いカーブ

 知人らによると、原野さんは昨年4月下旬に自転車日本一周の旅に出発し、この日、長野に戻ったという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070626-00000016-san-soci


なんでこの記事、轢いた運転手が実名報道されてんの? 悪質な故意があった訳でもないのに。

本当に実名報道するべき加害者は悉く匿名にするくせに。

2007-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20070611165713

HTTPさえ出てればトンネル掘ればなんとでもなる

そ、それだー!

って、社内のメールサーバの話だよ。

…社内のメールサーバwebメールサービスしてたような。

フィルター書けばPOP3メーラー使えるかな。

2007-06-04

ある帰宅中の出来事3

暇だから乗っかってみた。あ、完全にフィクションです。もとの増田さんごめんなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20070604152429

 その男の顔を、本に視線を落としながら、目だけでよく観察する。するとどこかで見たことがある様な気がしてならない。

 しかし、それが一体誰の顔で、どこで見たのかはっきりとしないのだった。間違いなく見たことがあると思える顔なのだが、それが誰なのか断言出来ないというもどかしさが胸の中でぐるぐると渦巻いていた。

 電車トンネルに入った。耳鳴りがする。気圧の変化に上手く対応出来ていないのだろう。その度に僕は唾液を飲み込もうとする。こうすれば治ると教えてくれたのは誰だっただろうか。確か、祖母の家に向かう途中で教えられたのだったと思う。

 父だ。父が教えてくれたのだ。

 その事を思い出したとき、僕はハッと顔を上げた。女の子と話す男の顔を見る。それは僕の顔に似ていた。もっといえば、それは父の顔に酷似しているのだった。

 

2007-01-12

談合は本当に悪なのか

(http://anond.hatelabo.jp/20070112140856)

カルテル・トラストといった「部外者を排除する・寄せ付けない」ためのシステムとしては、まごう事なき『悪』である。したがって独占禁止法でも、犯罪として規定されている。これは現実である。

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200309_632/063201.pdf

ところで文献をウェブで検索してみると、やはりそれについて論じたレポート(go.jpドメイン!)があった。高速道路を通したりトンネルを掘ったり、あるいは貯水ダムを造るなどのよほどの大工事に関しては、ゼネコンのほうが様々なノウハウも蓄積しているであろうからそれは別格の部類として、中規模以下の工事(たとえば山地・奥地での道路敷設や舗装工事・則面の補強など)で地元業者以外が応札する事は、およそ稀なケースである。

そもそも地方部の小規模な工事では、大都市圏のそれとは違って土木業者の数自体がさほど多くは無いという事情もあって、応札する業者の数も自然と絞られてくる。そのような場合、土建業者が地域の経済雇用・その他に与える影響としては、たとえ小額の工事であろうとも、地元では何かと語られる部分が多いのも、都会からは見えない現実のひとつである。

そして現状では、たとえば落札金額の率が予定価格の95%以上というケースが多い結果から談合が疑われる、という事らしい。もっとも冷静に考えてみれば、人件費やセメント代・あるいは土木機器のリース料という数々の要因を個々にチェックしていけば、おのずと求まる『想定工費』というものは、どこかに存在するはずである。それを大幅に割り込む価格が入札で提示される場合(※)、逆にその後の便宜を行政側とで図る可能性があるなど疑わしい関係がチェックできるようになっていなければ、価格の『叩きあい』やダンピング・そして最悪のケースでは『手抜き工事』を招く要因として、入札システムの負の面が機能してしまう恐れが無いとは言えない。
 (その典型的な例が、あのシンドラーエレベータに続発した、一連の事故ではなかったか?)

本来、入札システムが導入される目的は、「コストに“疎い”行政側が、業者の言い値で『高い物』を売り付けられる」というデメリットを避けるためである。ゆえに、業者側の一定の利益を確保する目的としての談合は、その後の「特定業者への“恩義”」と「立候補者への有形・無形の支援」とも絡み、“癒着”として厳しく追及されることとなる。

だが一方で、工事の内容に関して言うなら「安かろう・悪かろう」の懸念が生じるのは事実である。どんな技術であっても、クオリティを確保するには、それを施す者に対して『一定のコスト』を払わねばならない。そしてその場合のコストが、本当に適正な金額なのかどうかを計るような指標が発見できれば問題ないのだろうが、厳正な基準となるものを見つけるのはおよそ不可能に近い。ゆえにやむなく、「入札」という形で工事全体の価格を競争させるしかないわけだが、この辺りに人間社会全体としての一種の限界を見る思いがする。

そしてそういった入札は、上はポスティングシステムにおけるプロ野球選手の移籍から、下は派遣社員の登録・賃金の決定システムにも関わってくるわけで、やや乱暴に言ってしまうなら『談合を非難するということは、自分も労働市場の下で選別される事を肯定する』ことに繋がってくるわけである。

ただもちろん、それだけでは「労働者としての人権」がないがしろにされかねないわけで(実際に『偽装派遣』などで裁判も起こっている)、労働者としての最低賃金労働三権といった形での発言権は、別の面から補強されなければならない。このあたりに踏み込むとなると、『分裂勘違い君劇場』さんの筆力に劣る自分としては、お茶を濁す形で話をまとめるしかなくなってくるのが口惜しい。

(※)かつて問題になった、市役所へのコンピュータシステムの「一円入札」など。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん