はてなキーワード: 血液型とは
元増田です。
だから俺は、血液型を本気で信じている人間は少ないのではないかと考えている。
ついでに、血液型で本格的に差別に発展する可能性ってあるのかな?
どの型を差別しようとしても、身内や友人、将来生まれる可能性のある子供を巻き込む可能性があるわけで、血液型を理由にした差別ってのは起こりづらいと思う。
ありがとうございます。まとめていただいた内容で整理できました。
現在、血液型で、社会問題となるような差別はないのかな、と私も思います。血液型というのは、本当にわざわざ取り上げるような必要もない取るに足らない迷信ということかもしれませんね。
それでもなんとなく気になるのは、
「権力のある人」が、振りかざした場合、カテゴライズされた人のうち弱者は不当に悲しい思いをするのではないか?
人の親や、教師や、部下がいるような管理職は、そういう偏見を冗談でも持ってはいけないような気がします。
まあ、うまく説明できないのですが…。
マジやべぇ。日本終わりすぎ。
誰だかわからない人を形容するとき「どこの誰それ」というじゃない。
でもな、まず面接で「君どこの出身?」って聞いちゃだめなんだ。
意味ワカンネwww
ほら出身地で差別されることがあるから!
なんだソレ!
ま、出身地は部落の問題とかがあるからしょうがないのだろう。
まだそれくらいはわかってあげられる。
一人っ子なのか兄弟いるのかがわかるだけで結構性格の基本的なところわかるだろ?
兄弟の兄なのか末っ子なのか・・・とか。
どんな家庭で育ったのかでそいつのキャラクターがわかるじゃないか。
続柄:父 サラリーマン
続柄:父 会社役員
続柄:父 農業
続柄:父 自由業
続柄:父 公務員
続柄:父 冒険旅行家
どんな家庭で育ったかわかればそれに越したことはない。
でも、ほら母子家庭とかかもしれないからこれも聞いてはだめなんだと!
良家のぼっちゃんだけより好みされないように、親の学歴や収入、家の間取りとかも聞いちゃだめなんだ。
愛読書とかも思想にかかわることだから聞いちゃダメなんだぜwww
なんだそれ。
人となりを知りたくて面接するのに、個人情報なので質問できないとか、
もうね、いったいなんのための面接をするのかわかんねえよ。
そりゃ口利きだけで採用しろっちゅうようなもんだよな。
本人がもってくる情報だけで判断しろとか、
それで雇ったら本人辞めるいうまで辞めさせられないとか。
真相は闇の中だけど、ある1000人規模の会社で「血液型は採用に影響してるんじゃないか?」という噂が上がったことがあるそうな。
そういうことは、まず自分の血液型を名乗ってから言え!
実際うちの会社、女入社禁止だし。IT系ね。
こないだも35歳の女が面接で1番有能だからって、社長に交渉したんだけど
女なんて使えないにきまっとる!すぐ退社する!と有能な事実を認めようもしない。
男だって辞めるヤツはすぐ辞める、というより
こないだ社長がOK出したヤツもういないじゃないっすか…。
下の方にある。
http://www.kplb.go.jp/jigyou/jigyou07.html
(略)
「血液型・星座」と性格とは科学的根拠に裏付けられたものではなく、職務能力とは全く関係のないものです。雰囲気を和らげるために質問されることが多くありますが、科学的根拠のないものによって性格を判断されることは応募者に不安を与えます。
それは「雇わない」と決めた血液型が、全体に比して低い割合の型だから問題があまり出てないんだと思う。
例えば、うちはA型の人は雇わないよ、と言った瞬間にだいたい40%くらいの人が候補から外れるわけで、
これはなんだかいい人を雇える可能性を相当損失しているように見える。
逆にAB型だとしたら、だいたい10%くらいの人を候補から外してしまうわけだけど、
これはまあ高々一割程度だし、と言ってしまえばその程度の話で落ち着いてしまえるような、そんな感覚なのかも。
なんだか恐い会社だなあ。
ささやかな(!?)差別だと、昔働いていた80人規模の会社では、この血液型の人は雇わないって明言している社長がいました(_ _)
(何人かと仕事をして、そう思うようになったみたいで)
本人の器質的なものと、併せての判断でしょうけど、、少数派と、信じたい☆
そもそもそこまで強く信じてはいないと思うよ。ループだけど。
1.人の性格を見て、「君は○型?」と質問する。
2.人の性格を見て、「君は○型だろう」と断定する。
3.血液型を聞き、「君は○○な性格なの?」と質問する。
4.血液型を聞き、「君は○○な性格だろう」と断定する。
5.比喩として「君は○型のような性格だ」と性格を表現するために利用する。
という5パターンが主に考えられる。
そこで、俺が「本気で信じている人は多くない」と判断する理由は。
1,2に関しては信じてるか信じてないかってのはあまり関係がない。
なんにしろ言われた本人の性格について言及してるんだから、この場合の血液型ってのはあまり関係がない。そもそも元の性格ありきな会話だ。
3に関しては、否定した時には多分5に派生するだろう。肯定した時は「なんかそんな感じがした」あたりの回答が返ってくるのではないだろうか?
この手の会話だと、血液型「占い」くらいの信頼度で血液型を扱っているように感じる。
4のような人は確かに増えたら問題だと思う。これまでのパターンだと性格→血液型という流れをほぼ踏襲していたのに対し、これは血液型→性格だ。
5はそれこそ空気読めって話で、いちいち比喩に突っ込んでたら会話が終わらない。
この中で「本気で信じている」と判断されるパターンは4番だと思う。
他のパターンは、たとえ信じていたとしてもそこまで強い信頼性があるとは認識していないのではないかと。
そして、俺の周りで聞く血液型の話の中で4番のパターンは見たことがない。あったとしても本人が否定した後も執拗に断定する人間は本当にまれだろう。
だから俺は、血液型を本気で信じている人間は少ないのではないかと考えている。
ついでに、血液型で本格的に差別に発展する可能性ってあるのかな?
どの型を差別しようとしても、身内や友人、将来生まれる可能性のある子供を巻き込む可能性があるわけで、血液型を理由にした差別ってのは起こりづらいと思う。
元増田です。
関連付けはしても、そのことが相手の行動を左右するの?
しないでしょ。
もし、「B型だから仕方ない」という許容が加わったら、関連付けによる行動の変容であり、これが非常に悲しい差別であるとは思いませんか?
私の自尊心はこの関連付けを見過ごせないでしょう。あなたは、おそらく差別について深く考えたことはないと思います。非常に申し上げにくいですが、差別についての上げ足の取り方が、差別感覚に無頓着な人によくありがちな、ステレオタイプです(ような気がします)。
本当に、血液型と性格の無根拠な関連付けに危機感はないのでしょうか?ないんだと思いますが…。
あなたの論法では、少し納得しにくいようです。
にしてもあなた、不誠実ですね。あなたの血液型が何型かなんてどうでもいいのに。
私の血液型が本来関係ないことは承知していますが、「B型だから気にしているだけ」という憶測による断定のエントリーに対して誠実にこたえようとした結果、不誠実な印象を与えたようです。まあ、気にするほどのことではないですが…。
元増田です。
「血液型のせいだ」とか言うのは、メンヘルレベル、という感覚でOKでしょうか?
場を盛り上げる程度の活用はOKだけど、マジで「血液のせいだ」はメンヘルレベルという感じは、
いい感じだと思います。
私は、心理学を勉強していて「場を盛り上げる程度の活用はOK」という感覚に瑕疵があるような気がしてならなくて、どんなもんか、エントリーしてみたんですが、そこに瑕疵があるとしたらなんなのか?言語化できずにいます。
関連付けはしても、そのことが相手の行動を左右するの?
しないでしょ。
むしろ相手から見て、Aさんは単なる自己中ではなくて、B型だから仕方がないという許容が加わるわけじゃないですか。
それに気づかず蔑まれてるとか、差別とかなにいってるの?と。
実際差別されて結婚できない人やら、就職できない人の前で言ってみろと。
にしてもあなた、不誠実ですね。あなたの血液型が何型かなんてどうでもいいのに。
元増田でっす。
血液型の話が苦痛(特にB型で、自己中とか我儘とか言われるのが嫌)
この増田に関して言えば、B型じゃないor自己中でなければそこまで気になってなかったんだろうなー、と思う。
上にも書きましたが、B型自己中というのは、例で、実際の私はO型です。ちなみに自己中と言われたことは記憶している範囲ではありません。
血液型を気にしているのは、心理学を勉強している人たちの間では、「唾棄すべき迷信」という感じで扱われている血液型性格相関説が、一般社会では、なぜここまで容認されているんだろうか?結構信じてる人多そうだし…。ということが非常に気になるんです。
エーリッヒフロムの「自由からの逃走」というドイツでユダヤ人差別が起こった社会構造を解説した本を読んだせいで、理不尽な区別について多少敏感になっているということはあると思います(←ここがちょっと説明しようがなく、理解しずらいかも)。
元増田です。
大層に言われることは、確かにありますよね。それを受け入れられなくて、血液型に過敏に反応している。というような可能性について一応検討してみました。
実際の私は、O型です。おおらかと言われているO型。O型だからアバウト、人の話あんまり聞いてないでしょう?とか合コンで言われたりすることもありますね。
しかし、キャパシティーの問題で、その発言を受け入れられず、感情が消化不良を起こす、といった類のことではないようです。
「血液型に根拠がない」ということを知らないで信じているのであれば、心の中で合掌するのみです。根拠がないことを知っていて、使っているとしたら(そんな使うんでしょうか?)何かの当て擦りでしょう。理解できることに対してそんなに腹は立たない方です。
あまり自覚がないとはいえ、本来相関のないカテゴリーを性格と関連付けることに対して、鈍感である、という危機感のなさに、違和感を感じるんです(←この状況がキャパがない、ということを言われてるのかな?)。
横だけど
そのカテゴリ間に連帯感があるかどうかってのは結構大事な要素じゃないか?
「その社会で、当たり前のこととして認識されている」というのは、かなり重要なことだと思います。
「横」というより、その辺りが一番気になるところなんですが、
1.みんな血液型性格相関説を真偽のほどは別として認識し、社会自体がある程度受け入れています。
2.みんなが認識し、社会が受け入れていることって、本当は、トンデモなことでももう普通に流通しちゃうよね。
3.だから、KYで通して行こうよね。そんな大きな問題じゃないし、それで場が保たれるんだから。
4.それに対して、血液型性格相関説がトンデモだと知ってしまった私は、まあ、社会が受け入れているんだから仕方ないか…
と思いつつも、でもやっぱりトンデモはトンデモだよな。科学的に証明されていない時代であれば、他のいろんな迷信と同じように
生活の知恵として活用していけばいいと思うけど、心理学を勉強する身として、根拠のないカテゴリで人間の性格を区別するというのは、非常に違和感がある。
5.この気持ちは、私の個人的な執着なんでしょうか?できれば、みんなもちょっとは同じことを気にしていてくれると嬉しいな。
6.なぜなら、小さいとはいえ、「その人の性格と関係ない属性で性格を定義する」ということは、簡単に差別に発展しそうな気がするから(←これがなぜなのかはまだうまく説明できません。誰か知ってますか?)
血液型じゃなくたって、他人が自分のことをご大層に言うことなんていくらでもあるじゃないか。
自分に自信がなくて、他人からの批評を受け入れるキャパがないだけじゃないの?
この増田に関して言えば、B型じゃないor自己中でなければそこまで気になってなかったんだろうなー、と思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080708232121
血液のせいで自分のせいではないと責任転嫁してしまえばいいじゃないですか。
他人との人間関係のマズさを、
自分のせいではなく血液型のせいにすることで、
自分を誤魔化している人なんだろうなあ
とは昔から思っていた。
それが、
あるいは
使う程度なら、別にいいんだけど、
人様を語ろうというのだけは止めて欲しい。
三年ほど前、
「オレとオマエがあわないのは●型だから」とか語り出して、
あまりにもウザかった記憶がある。
それはAB型。
常時パチパチ音を出しながら切り替わっている。
頭の回転が速かったり、ヘンタイだったり。
相手の言論の切り返しが秒単位で変化したり、ヘンタイだったり。
血液型と性格に関連性はないはずなのに・・・・・・。
今働いている部署のAB型率が25%を突破していることの方が
世間的には異常な光景なのですが。
意味はわかります。相手が言いたいことは、「私が自己中である」という指摘であり、B型だからは、飾りでしかない、ということですよね。「自己中である」という指摘自体は、正しいことであれば、何の問題もないことだと思います。おそらく納得することでしょう。感謝すべきことかもしれません。
ただ、それを説明するのに、なぜ、本来相関がないものをわざわざ枕に持ってくるのか(単なる枕だとしても)?
仮に人種を使って一般化しながらやってみましょう。
「君〇〇(国の名前)人なの?若干、自己中なとこあるもんね。」
みたいな発言があると、「〇〇人であることと性格は関係ないだろ!」となると思うんです。
血液型と性格も実はこの例と同根なのではないか?という不信感があり、少し気になるんですが?どうですか?まったく違う話っすか?