はてなキーワード: 白票とは
確かに、行かないよりサイコロ転がしの方が数百倍社会的には役に立ちます。「どうせ落選する候補に一票いれてもなー」という人。じゃあたとえば40人のクラスで委員長決める選挙があったときに、『友だち5、6人が押してるA有利だろ常考』みたいな感じで毎回低投票率、
Aくん …7票
Bくん …4票
Cくん …1票
(投票率30%)
…という選挙結果だったらどう思いますか。しかもその結果Aくんが調子こいて「オレはクラス全員に選ばれた代表ぉぉぉウヒヒwwwサーセンwwww」とか言ってたら、大概むかつきませんか。お前、友だち除いたら実質1票しか取ってねえだろ、と。この状況で白票や棄権票をAくんが「自分への批判」と捉えると思いますか。確実に言えることは、Aくんは「白票や棄権票はBやCへの批判もあるんだからオレ関係ねえwwwwwつか棄権増えるほどオレの組織力有利wwww組織票うめぇwwwwwwww」としか思わないだろうってことです。ハッキリ言や現状こんな感じじゃないっすか。
これで投票率が80%にあがり、仮に結果が変わらなかったとしても(残りがサイコロ投票として+16票が6/5/5とばらけるとする)
Aくん …15票
Bくん …10票
Cくん … 7票
(投票率80%)
これなら、Aが調子こいて少し票を減らしたりすると、B・Cが手を組んであっさり失脚の目も出てくるように見えます。Aくんも簡単に調子こけなくなるでしょう。第二、第三候補への投票を「死票」だと思いこむのはAくんの策略にはまってるってことですよ。だから、白票投じるくらいなら「まず当選しねえだろ」という候補に一票を。
http://anond.hatelabo.jp/20070722032625
どうせ誰がどこの政党が当選しようが大して変わらないよ、とよく言われるがそれには同意。
政治の動きは社会の動きよりずっとゆっくりで変化には時間がかかる。日々社会の変化のスピードに翻弄されている僕らには、そのノロさがもどかしいけど、そんなに政治にコロコロ変化されてもそれはそれで困るので仕方ない。
自分が票を入れた人間が当選するかしないかは問題じゃない。どこに投票してもいい。ウケ狙いでマタヨシやドクターに入れるもよし。白票でもいい。
なぜ与野党問わず、政党が団塊世代以上の利益を優先して、ニートやフリーターや不安定雇用に甘んじるしかない若い世代の利益を顧みないかと言えば、団塊世代以上の人数が多くて投票率が高いからだ。政治家にとって選挙に行かない連中は透明な存在でしかない。いないも同然。
だから若い世代が投票にガンガン行って投票率を上げて存在感を示せば、少しは政策に若者の意見を反映させようという気になるかもしれない。あの世代を超えることはできないけど、例えば1%が2%になるだけでも結構なインパクトだよ。
とにかく若い世代の投票率を上げたいがために自分ができることと言えば、最低限投票に行くことぐらいしかない。デモとか、立候補とか、あんまり大きなこと考えすぎずに自分のできることをしようぜ。
学問的な定義の話をしてるんではなくて現実の社会的効用の話だったと思う。
まあ、そんなことは十分分かった上で
「無投票>>>>>>>>>>白票 投票所まで足運んで無駄な努力wwww (m9(^Д^)プギャーwwwwwwwwwwwww」
http://anond.hatelabo.jp/20070701113127
(m9(^Д^)プギャー
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000417.html(おおやにき)
つまり私は、棄権も白票も同じくnon commitment (関与なし)であり、その意味するところは双方に0.5票ずつ加算するのと同じだと、こう理解している。non commitmentに独特の意味を認めないこのような視点からは、たとえば朝日前掲社説に以下のように言われても……
仮に投票率が4割にとどまった場合には、最低投票率の定めがなければ、有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されることになる。それで国民が承認したとは、とうてい言えまい。
なんで? と真顔で聞き返すしかなくなる。投票しなかった6割は半分支持・半分不支持と計算されるので賛否双方に3割ずつ加算されることになり、すると2割+αが積極的な賛成票を投じているのであれば合計して賛成者は5割+αになるではないかと、そう思うわけだ。積極的な意思表示をしなかったことは、賛否に中立としか捉えようがないではないかと。
へんな論法。真顔で聞き返すということは上記のロジックは自明であろうという前提が垣間見られる、が。。。
「non commitmentに独特の意味を認めないこのような視点」を自明のものとしてとらえていいのであれば、わざわざ視点を提示することもなかろう。
私の感覚では「投票しなかった6割は半分支持・半分不支持と計算される」という、国民審査類似のなロジックほうが不自然に感じる。
ことに憲法は有権者のコミットメントが正統性を担保する非常に重要なファクターであるのだから、朝日新聞の主張のほうがわかりやすい。真顔で聞き返すほどのへんな主張とは思えない。
無効票も認められるのなら、それはそれでいいんじゃないかと思った。
とにかく投票に行けば罰金を負わずに済むとしたら、興味ない人の名前を
書くのも面倒だろうから、白票を投じるだけなんじゃない?