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はてなキーワード: 松井とは

2008-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20080202162753

松井は腹黒いというより、私生活オナニーまみれっぽいイメージ勝手にある。

風俗行きまくってそう。

http://anond.hatelabo.jp/20080202160726

斎藤は現時点で人となりって程の人となりは出てないと思うよ。自信家の側面はけっこう覗かせてるけど基本的に「優等生」で止まっているしスキャンダルも無い。

そういう奴を「本当に品行方正で今時珍しい素晴らしい人間なんだ」って語る人たちはテレビの向こうに人間を見ていずに、ある意味二次元キャラを見ているんだなぁ、ってのが俺のひとつ前のエントリ

決して斎藤が裏では黒いとか裏では酷い人間なんだと言いたいわけではないからね。

ただ二次元優等生的なキャラクターで止まってるわけないだろう?そんな漫画優等生像を今の時代にリアル人間に見出すのっておかしくね?って話。

松井に対しては裏で真っ黒だろって思ってる。

http://anond.hatelabo.jp/20080202145249

ごめん、マジレスでそこまで考えてなかった。

たまたま適当ネット見て回ってたら斎藤を「今の時代に存在してるのが不思議な位の好青年だ」とか言う主張を見つけてその勢いで書いた。

松井に対してもそういう主張をしている人を見かけるから名前を付けたしておいた。

話を広げるとすると

彼らみたいな人たちこそが斎藤のような若者を苦しめて斎藤のようじゃない若者不快にさせるんじゃないだろうか。

とかそんな感じになるのかな。

松井なんかはむしろそのイメージを徹底利用しようって(俺から見るといやらしい)意識が感じられるしスポーツ選手の理想化を否定も出来ないけどな。

と、この文章を書いているうちに気付いたけど彼らの世代だとそれが自然なのか。要するに長嶋を絶対神的に崇めてた(人たちの多い)世代だもんね。

彼らにとってのスポーツ選手ってのは例えば漫画の中の理想化されたヒーローと同じような意味を持つってことか。

ってのも単純化し過ぎなんだろうけど。

2007-07-26

神様

全盛期の中田姐さんと、上手い時の加地と、松井を今の代表にください。

2007-07-01

野球日本代表WBC

http://anond.hatelabo.jp/20070605220905

DH松中信彦ソフトバンクホークス)と被ってしまうからな・・

しかも、松井松中ともにどうも円熟して最盛期に差し掛かってそうな年齢なのに

伸び悩み・不調になっているのが気がかりだ。

個人的には、ライト福留孝介センターイチロー、レフト:松井秀喜

という風に日本代表外野手スタメン3人を選ぶ可能性が高いと思う。

イチローより多村が長打力はありそうだけど、怪我の多い人なので

余り信用されてないだろう。

ただ、偏見から松井は守備固めが要る様に思えてしまう。

それに比べれば青木宣親ヤクルト)なら中距離打者で若いから

レフトに入れたくなる人もいるのかもしれない。

イチローライトイメージがあるが、

今までの状況から、福留センターだと打てない可能性が高いので

守備打撃両立できそうなイチローセンターを守ってる方が良さそうだ。

2007-04-14

[]

「『ハルヒ』が『らき☆すた』より上」とか言うのは、ホームランの本数だけを見て「松井イチローより優れた野球選手」ということとか、ジャンプの回転数だけで「安藤美姫浅田真央より優れたフィギュア選手だ」というのと同じだと思うんだ。

シロートミーハーさんがそんな感想を持つのは別にいいんだけど、自称「通」みたいな人までそんな論調のひとが多いと、なんだか悲しくなる。

2007-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20070209060322

手で潰して出すのは一番だめです><

ほんとは洗顔で清潔保ってほっとくのが一番いい。

にゅるにゅるどぴゅどぴゅ出してるとみかんの皮みたいな肌(昔の松井みたいな)になる。

気になって仕方ないならこれで吸い出すのがいいよ。

http://ctlg.national.jp/product/info.do?pg=04&hb=EH2511

2007-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20070120020700

でもみんな科学的な感じ」(実際は科学ではないのだが)の話って好きだよね。「あるある」も「ガッテン」も女性週刊誌も、みんな最近は「これが身体にいい」「これでモテる」だけじゃなくて、「この数値がこんなに上がってるから身体にいい」(実は他のものではもっと上がってたり)「心理学にもとづく男をおとすテクニック」(それ科学的に研究された“学”じゃなくて単なる思いつきの“術”だよ)とか、そこで科学は別にいらないんじゃないの、という状況でも科学を持ち出すことが多い。統計も然り。「血液型性格判断は10万人のデータを取ったれっきとした統計」って昔トリビアでも言ってた(と思うがソースが見つからない)けど、そんなに母集団がでかけりゃそりゃ有意差出るだろ、と(血液型性格判断は疑似科学か?の●2など参照)。

恋愛についても、吊り橋効果とか好意の返報性とかよく使われるけど、好意を恋愛感情と混同してしまうのは女性のほうが多いという研究もあったりする。女性が同意するから、男性に効果があろうとなかろうと女性週刊誌は特集を組むんだろう。本当の「恋愛科学」はかなり味気ない。

みんな科学(を装ったエセ科学)を拠りどころにしてるんだから、それを壊されるような話は受け入れさせるのは難しいだろうなあ。「でもそれは現在証明されてないだけで」とか。だから、エセ科学教徒を改宗させるには、科学に替わる拠りどころを提供してあげる必要がある。かといって、そうなりかけてる「スピリチュアル」な方向もちょっと考えもので、そうなると社会的繋がりとか、「古きよき」コミュニケーションなんじゃないかな、とか思ったり。「水からの伝言」を道徳に使うのなんて、道徳心を水に養わせておいて、自分たちは楽しようという意図も透けて見える。エセ科学科学でぶつかっても、また違うエセ科学の鎧を着込んでしまうだろう。エセ科学を撲滅したいなら、本当の科学を知る人たちが「科学人生を面白くする調味料でしかないんだから、そんなに頼っちゃいけないよ」と伝える努力をしなきゃいけないんじゃないかな。

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