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2007-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20070417195252

煽ったときにエスプリの効いた反撃が来るか無意味悲鳴しか返ってこないかがコミュニティーの質を示す。

2007-03-12

ジェットコースターってとても不思議な乗り物

彼女遊園地に行ったんです。それでジェットコースターに乗ろうって誘ったんですよ。

彼女は今まで一度もジェットコースターに乗ったことがなくて、一方、自分はジェットコースター好きなので、よく話題にしてはいたんだけど。シートに体を固定するレバーが頭の上からかちゃりと下ろされてね、発車のベルが鳴ると、吊上げのリフトにガチッと乗り物がハマってちょっとガクンとなるのね、んで一瞬間を置いて、グイイイって少しレールを軋ませながら、じわりとコースを昇り始める。どこまで昇ってくんだろう、ここで稼いだ位置エネルギーの分だけ、後のスリルが増してくんだよなあなんて考えながら景色を見下ろす、このドキドキ感が堪らないんだよ、なんて力説したりして。だから彼女も、

「一度乗ってみようかな」

とか

「一緒なら平気かも」

とか少し乗り気になっていたはずなんですよ。少なくともそこに行くまでは。だけどいざ、きゃあきゃあ悲鳴を上げる人達を乗っけて、凄い早さで目の前を通り過ぎて行くのを目にしたら、怖じ気づいちゃった、

「やっぱり怖いからヤダ」

って。何で怖いの?それがいいんじゃんって言ったら、

「だって何だか落っこちそう」

だって。

そんなわけないから、絶対大丈夫、そういうふうに設計されてるんだし、安全には凄く気を使って管理されてるんだから、って一生懸命説得するんだけどダメ。結局、

「私はここで見てるから乗っておいで」

って。正直な気持ち、怖がる彼女が自分の手をきつく握って来たり、袖にしがみついて来たり、何か普段は見せないそういう可愛らしい仕草が見られるかも、なんて幼稚な期待もしてたんで、一緒に乗れないなら楽しさ半減だから、自分も乗るの止めておきたかったんだけど、彼女、自分がジェットコースター好きなの知ってるし、ここで乗らなかったら自分のせいで楽しめなかったと落ち込ませちゃいそうな気がして、一人で乗ることにした。自分が楽しそうに乗ってみせたら、気が変わってくれるかもって思ってたのも、少しだけある。手振るから見ててなんて言い残して、荷物預けて一人で並んで。で、いざ乗り込んだわけなんですけど……

なんだろ、何かそのとき、今までとまるっきり違う感覚だった。ちっとも、ドキドキしないんです。なぜだろう、彼女にこの楽しさを伝えたくて、だから一緒にジェットコースターに乗りたくて、それで怖くないよ危なくないよって必死でアピールしてるうちに、自分が今まで、なんでドキドキしてたのか分からなくなってしまった。だって、考えてみたら、絶対安全な乗り物に腰掛けて、数分間グルグル連れ回されたあげく、結局一周してまた元の場所に戻ってくるだけなんですよ?

あれ?ひょっとして自分はジェットコースター好きじゃなかった?とか、ドキドキしてたのは、万に一つ、故障したり落っことされたりするかもしれないと疑ってたから?なんて思ったりした。それが、安全だ、怖くない、って主張してるうちに自分が暗示にかかったのかもしれない。もしそれがジェットコースタースリルの正体だったとしたら、ジェットコースターって乗り物はとても不思議。だって、確実に安全だって信じているはずなのに、でももしかして、って疑う気持ちがあるから楽しめるってことで。自分は何に楽しみ見出していたんだろう、どこまでジェットコースターを信じてたんだろう、信じるって一体どういうことだろう、とか深く考え込まされる羽目になってしまった。

結局その後、彼女とは、一緒にちっちゃなジェットコースターに乗りました。

これくらいなら大丈夫かも、って言ってくれたので。実際、彼女も楽しそうだったし、

正直、自分もそれが一番楽しかった、今まで乗ったどんなジェットコースターよりも。

2007-03-05

今日は市況関係が世界規模で悲鳴をあげているらしい

増田にはあまり関係なさそうだが。

かくいう俺はこの前までドル建て定期を考えてたのでゾっとした。これがオウンリスクか。

2007-03-04

もう六年くらいネット上でヲチしてるひとがいて、

古風な文学青年、というかそろそろ40超えてるのだが、とある明治の文豪をひたすら崇拝し、自らをその後継者と信じ、陳腐としかいいようのない文学論を書き続け、現代の小説を憎むこと甚だしく、というか実のところ戦後小説はおそらく彼にはほとんど理解不能のようなのだが、ともかく現代社会と文化の堕落を嘆きつつ、でもテレビは大好きで、倉庫のバイトで日々の生活費を稼ぎ、たま風邪をひくと嗚呼自分も啄木のように肺病で死ぬかもしれん、と布団の中で一人悲愴感をつのらせ、たま女性から優しい言葉をかけられると彼女は自分と結婚したがっているのだと思い込み、とまあこう書くとかわいらしいのだけど、彼が掲示板blogに書き続ける妙に意気軒高な文章を読んでいるとまず苦笑が、次いで嫌悪感恐怖がじんわりとこみあげてきて、というのも彼はおそらく思春期の頃に設定した小さな輪の上をもう数十年ぐるぐると廻り続けていて、その徹底した他者の欠如と無知は動かしがたく、今後よほどの事がない限りその輪の中で彼は老いていくのだろうと考えざるをえないが、それをずっと観察し続けている自分の後ろにも、おそらく同じような陥穽がぽっかりと口を開けているに違いないと思うと、悲鳴をあげたくなるほど、恐ろしい。

ぐきりぐきり

ぐきり。悲鳴を上げる。ぐきり。顔を背ける。ぐきり。強制的に。

ぐきり、ぐきりと首を折る。気持ちよさそうに首を折る。折られた人は天を見る。曲がってはいけない方向に首を曲げて天を見る。

あいつが突然首を折りだしたのは十分ほど前。廊下側の一番前の席に座る、小柄な女の子の首をぐきりと折った。女の子も何が起きたかわからなかったようで、声にならない呻きがわずかに聞こえただけであった。だから、クラスの皆が気づいたのは、一部始終を見ていた、小柄な女の子の後ろの席の女の子の首が折られたときであった。自らの身に何が起こるのかわかっていたその女の子は、叫びながらぐきりと折られた。

教室はすぐにパニックになった。そして皆が一斉に廊下に出ようとすると、男はよく通る声で言う。動いたらこの子の首をまた折るぞと。その言葉に止まった皆は男の言う通りに、また自分の席に座った。逃げようと、抵抗しようとすれば、こいつの首は折ると言われたので皆は逃げられず、見ているしかなく、首に手をかけられた子は男の屈強な体にはどうすることもできず、泣きながら、震えながら、折られるのを待つのみであった。

男は一人の首を折ると目にも止まらぬ早さで次の子の首へと移動していたので、そこからは、前の席から後ろの席へ、廊下側から窓側へ、首折りショーの始まりだった。ぐきり、ぐきりと首を折る。気持ちよさそうに首を折る。よく冷えたチューペットを折るように気持ちよさそうだったけど、チューペットはあんなに鈍くは折れないから、サイリウムのようなのかもしれない。折ったことがないからわからなかったが、折られていく首を、曲がってはいけない方向に曲げられ天を見る同級生達の顔を見ながら、そんなことを思っていた。

そして、クラスでも臆病なのが有名な子の、前の子の首が折られようとした。したのだが、臆病な子は目の前でのそれを見ることができず、そして次に自分がサイリウムのように折られるということに耐えることができず、教室の出口へと駆けだした。男は予想外だったらしく、一瞬間が空いたが、次の瞬間には我を取り戻したように、その子に駆け寄り慣れた手つきで、ぐきりと、首を折った。しかし、それで決壊したのか、折られてないクラスの皆も同じような気持ちだったのか、またパニックが起き、皆で出口へと駆けだした。男は人間業とは思えない恐るべき早さでぐきりぐきりと首を折ったが、そんな彼もやはり人間なので手は2本しかない。残った20人程の子の首を一度に折ることはできず、暴徒と化した彼らにボコボコにされ、取り押さえられることとなった。誰かが持っていた手錠をかけ、警察が来るまで教室の後ろで確保しておくことになった。

手錠をされても、出所したらまた首を折るんだと、自慢気に、嬉しそうに語る彼を見て、私は思っていたことを、思わず声に出してしまった。バカみたい。運悪く彼に聞こえてしまったようで、彼は立ち上がり、私の首に手をかける。手錠をしてても首は折れるようだ。何がバカみたいなんだ?隠しきれない怒りを隠し、物静かに聞いてきた。誰かを殺すために生きるなんて、生きるために生きるんじゃないなんて、バカみたい。それこそ死んでるのと同じじゃない。少なくとも私たちの側からすると、あなたたちの側では違うのかもしれないけど、そう思えるわ。そう言うと、私の首から彼の手は離れ、そうかもしれないと、しゅんとしおらしくなった。


そんな夢を見た。え?夢落ち?かというとそうではなく、実際に今日見た夢の話。夢判断をすると(あてになるとは思えないけど)、どうなるのだろう。サイリウムは折ったことがないので、折ってみたい。聞いた話によると鈍く折れるらしい。どんな感じだろう。でも、首は折ってみたいとは思わない。やはりなにか怖いし、それ以上にそもそもサイリウム程に気持ちよさそうだとも思えない。だけど、男も似たような気持ちだっただけなのかもしれない。折ってみたいと思うのがサイリウムと首とで違うだけで。そう考えるとやはり私の夢なんだろう。

2007-03-03

家族記憶

父の母への暴力は凄まじいものだった

殴る蹴る髪を引っ張って引きずり回す

そこらじゅうにある物をぶつける

ぎゃああという悲鳴が響いて、私はたまらず耳を押さえたけれど

そんなことでは到底音は塞げるものではなくって

だから近くにあったコタツに潜りこんだりした

母は包丁を毎日違う場所に隠した

でないと殺されると思ったのだと思う

父が居ないときを見計らってぐるぐると何重にも新聞紙で巻いて

引き出しの中や食器棚の中に隠していた

それでも家中に武器はあるから

だから母の顔や体にはいつも痣があった

それでも母は決して泣いたりしなかった

いつも明るく冗談を言ったり、私の宿題を見てくれたりした

ごはんも毎日美味しかったし

授業参観の日には誰のお母さんよりも早く教室に来て元気に手を振ったりした

それは少し恥ずかしかったけれど、ちょっとだけ誇らしかった記憶がある

父の毎晩の暴力なんて微塵も感じさせない強さがあった

私が大人になって1人暮らしを始めて、その頃には父も母もすっかり年をとっていた

たま実家に帰ると母は

「おとうさんもすっかり最近はおとなしくなったよ」

と笑っていたから私はすっかり信じ込んでしまっていた

母の強さを忘れていた

ある日、実家に帰ると母が怪我をしていた

そして部屋の箪笥がへこんでいた

母は何も言わなかったけれど、私は全てを理解した

それから頻繁に実家に顔を出すようになって、ついに父がまた暴れた

私は大人だから、今日こそ言ってやろうと思ったら

何故だか分からないけど泣けてきた

子供みたいにわんわんないて

それでも心の中で言わなきゃ言わなきゃと思った

「お父さんいい加減にしてよ!」

「いい大人がみっともない!」

「お母さんになんてことするの!」

頭の中で父への罵倒がぐるぐる回って、なんとか言わなければと振り絞って

ついに口から出した言葉に自分でも驚いた

「お父さん、お母さん、仲良くしてよ…」

父を責めるとか、母を守るとか

そういうことじゃなくって

ただみんなが仲良く笑っている所を見たかったんだなぁと始めて気づいて

私はまた泣いた

その時始めて母が泣いた

父はバツの悪そうな顔をして、それからちょっと泣いた

部屋に戻ってまた3人で泣いた

思い思いのことをそれぞれが話して

私の知らなかったことも知って

みんな苦しんでいたことを理解して

父も母も私も、始めて家族意味を考えた

私の家族記憶が少し変化して、少し家の空気が綺麗になった気がした

2007-02-27

増田ワッショイ

(ワッショイワッショイワッショイワッショイ)

甘ったれるなよ 文句を言うなよ
嫌なら出てけよ 俺は好きさ

すすす好きさ増田 おお我がチラ裏
おお我が友 マママ…増田増田増田(ワッショイ)

こらえ切れずに溢れた愛と
どうにもならない哀しみが悲鳴を上げる場
吠えろ唸れ 増田(ワッショイ)

ツツツツ突走れ 息絶えるまで
欲望の河よ 渦巻け 逆巻け 燃え上がれ
走れ止まるな 増田(ワッショイ)

いい時は最高 悪い時は最低
いつでもどっちかさ だから嘘はつかないいい奴さ
今日は気分はどうだい 増田(ワッショイ)

増田 増田 増田 増田
増田 増田 増田 増田
ワッショイ(ワッショイ)
ワッショイ(ワッショイ)(※)

(※くり返し)

2007-02-20

疲れた

日曜は暇だったので嫁をからかう事にした。

嫁を「わーい僕のお嫁さんだー」と言いながら追い掛け回した。

台所で洗い物をしている嫁に背後から

「わーい僕のお嫁さんだー」

洗濯機に洗い物を入れている嫁に背後から

「わーい僕のお嫁さんだー」

風呂掃除している嫁に背後から

「わーい僕のお嫁さんだー」

なおも嫁の後をついていこうとすると嫁が「…トイレだから」と言うので、

女性トイレの音を聞くのが好きな変態の話を思い出しながら一人でリビングに戻った。

座って待っていたら嫁が「どうしたの今日は?」と微笑みながら言い、

自分がどれだけ嫁に甘えていたかを思い知らされた。

嫁は本当に困った奴だ

なんだか悔しいので、嫁の腹肉をプニプニとつまんでやったら悲鳴を上げて逃げていった。

2007-01-12

不在

数年前の今頃、突然、作業効率が落ちた。

とにかく長文が読めない。内容が頭に入らず、何度もページを戻しては読み直す。ついさっき聞いた日時を思い出せない。簡単な計算の答えが出ない。

初めて仕事が遅れ、平身低頭で期日を延ばしていただいた。唸っていても仕方ないので、自分のアタマのテンポラリファイルに頼らず、常時メモを出力することにした。作業をしながら自分宛に大量にメールを書く。今読んでる書類の要点の抜き出し。思いつき。今受けた電話の相手と用件。他人へ連絡回す必要があるならその場で。これはなかなか効果があった。

それにしても元に戻らない。老化だろうか。

 

数週間後、足の爪を切ろうとして、両親指の爪に極端な「段」がついてるのに気づいた。段の横線から下は妙に分厚くムラがある。体調も栄養も良いし、精神的にストレスがかかったのだろうか?と考えた。しかし、段がある位置は、仕事が滞るよりもかなり前に生えている。ぼんやり眺めているうちに、それがいつのストレスなのか思い至った。

弟の3回忌だ。

とたんに、すとんと腑に落ちた。

事故で突然亡くなった弟の葬儀ではずいぶん泣いた。3回忌の法要でも泣けた。

しかし、それで終わりだとどこかで思っていた。イベントで想起させられると泣けるだけで、日常に忙殺されてもう忘れかけているのだと。弟が好きだったおやつを買う時はいつも余分に買って仏壇に供えたりしていたが、見知らぬご先祖様への墓参りと同じくらいのルーチンで気軽にやっているつもりだった。

そうか。あんたは未だにそんなに悲しかったのか。毎日毎日毎日毎日、「不在」がそこにあるのを認識するたびに悲しかったのか。涙が流れないから気づかなかったよ。

そういえば、葬儀の直後に友人に「今は気が張ってるから大丈夫だけど、後で調子を崩したりするから気をつけて」とも言われたのだった。忘れてるのは「気を張る」ことの方だったようだ。

私は悲しい。自分では悲鳴を抑え切れないほど。私は頑張ろう。

この答が正しかったのかどうかわからないが、とりあえず、翌日から次第に頭の回転が戻ってきた。

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