はてなキーワード: 中島義道とは
思うに彼は性格的弱者だ。彼自身は学歴的強者であることで自我を崩壊から保っているが、実際のところかわいそうなマイノリティである。かわいそうなことにそれは中島義道のいうような(身障者などの)世間で認められている公認のマイノリティではない。
大学内では高等な話題で誰とでも話せるような感じを行間から読ませるような文章になっているが、彼が無意識に彼がいうところのくだらない話しかしない人間を排除しているだけで、大学内においても実は彼はマイノリティなのではないだろうか。社会ではくだらないことで盛り上がることのできる人間が大多数であり、彼はその現実から身を守るために学歴における強者であることを使っているのではないか。
彼も酔ってしまって、またある程度努力すればくだらない話題にもついていけるだろう。ある程度楽しめるかもしれない。でもその楽しんでる自我の1枚をめくると、もうそこには「なんでこんなくだらないことで楽しんでるふりをしているんだろう」という一つ上の視点から俯瞰している自我がある。
また初めはただの性格的弱者だったのが、社会で弱者としての経験を重ね、自らに(彼の場合は学歴という)要塞をつくることで人格的にも弱者になってしまっている。(これがポジティブな生きるためのエネルギー、生産的エネルギーになることもあるが)
なんでこんな憶測ばっかりの文章を書いたかというと、彼が僕に似ていたからだ。最近高校の友達との飲みに言って同じことを感じた。そして悪いことに、その場で一番学歴が高いのが僕であった。うっかり彼と同じように学歴のせいにしてしまいそうだったが、これは性格のせいである。これからマイノリティとして生きる道を探さなくてはいけない。
最初に中島義道の話が出てたから言うけど、そもそも中島的にいえば「なぜ幸せにならないとメリットがないとなるのか?」って話になると思うよ。メリットないからルールの意味がないというのもいまいち論理的に弱いし。なんかそれは単にこのメソッドが実用性にイマイチかけるっていってるだけで、論理的におかしいのだ、とかそういう話じゃないから、反論にはなってないんだよな。で、反論になってない以上、何がいいたいのかよくわからんのだよな。元増田も言ってるけど、論理のおかしさと、実際に使ってみるとどうかという話は別だし、ていうかそもそも増田は実際に使えとは言わないが、ってなことをいってるから元増田にしてみりゃ「何を言ってるんだ?」ってことになるかと。
そして「このメソッドがあんまりいみない」ってのも、あくまで君の価値観上の話だしねえ。(幸せにならないならメリットがない、など)
ていうかキミ、もうちょっと人の話聞いてあげなさいw
masao_hateの主張に関しての詳細は、もう本人のログが残ってないんでなんともいえないけど。
ログが残ってない以上、魚拓とか、引用の形で残ってる文章がないとなんとも言えない。
「幸せな奴は不幸な奴に気つかえよ、謝れよ」
これをエントリ単位で擁護する人がいたかどうかは知らないけど、
反論した人ならダース単位でいたと思う。
あと、中島義道のどの本、何ページ?
微妙に違うと思うぞ、それ。
基本的に好き好んで不幸になる人っていないわけで。
(中島義道くらいだろそれ)
元増田だって「俺って/私って幸せかも」って思う瞬間があるだよきっと。
そして、それって誰かに謝らなきゃいけないようなことじゃないんだよ。
たとえばさ、全世界でこうやってパソコンを使えるのって全世界の人口の10%弱みたいだよ?
で、私も元増田もこうやってその10%弱の恩恵にあずかってるわけだけど、
そのことに関して一々謝るとか不可能だと思うよ。
「幸せな奴は不幸な奴に気つかえよ、謝れよ」という主張は暴論だと思うけど
『癩者に』っていう詩の一節に
「なぜ私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下ださったのだ」
っていうのがあったけど、
そういう感覚を時々思い出すのは大事だと思う。
「幸せな奴はそれを見せびらかすな、幸せな奴は、不幸せな奴に対して謝れよ」は
まんま中島義道じゃないのか?
奴もそんなことを言っていた気がする。
幸せな奴とか才能に溢れた奴とかは、そうでない奴に対して、負い目を感じるべきだと言っている。
はしごたんを、「いやまあ彼女は可哀想な人なんだからさ、ほら」という意味で庇う人はいても、「幸せな奴は不幸な奴に気つかえよ、謝れよ」的な論自体を庇う人はいなかったように思うが、敢えて庇いたい気がする。
こういった論があってもよい。
一概に「そんなバカなことがあってたまるか!」と切り捨てる方が怖えーわ。
いいじゃん、幸せな奴ははしごたんみたいに不幸せな奴に対して負い目感じろよ。結婚して幸せな奴、はしごたんに謝って負い目を感じろよ。子供いて幸せなやつ、はしごたんに謝って負い目感じろよ。その方が平等だろ。普段リベラルな事を言う連中が多い割りに、こういうときは「不幸な奴の事情なんてしったこっちゃねえ。俺私ら幸運組の幸運にミソつけないでくれる?」と貧民を見下すセレブみたいな態度に出やがるのは何故なんだろうな。
「どうして何もしていないのに、幸せだからという理由でそんな事感じなきゃいけないのか」ってくるかもしれない。でもそれを言うなら不幸な奴はずっと今までそうだったんだぜ。「どうして何もしていないのに不幸にならなきゃいけないんだ」だったんだぜ?
……とまあ、俺も別に本気でそうしろって思ってるわけじゃないが、しかしそういうこと、もうちょっと考えてみてもいいんじゃないのか?
「女子はいつも男性の性的視線にさらされてどーのこーので大変で」と女子の辛さを切々と語るようなものがあるんだけど、
そういうのを見る度になんだかこう、なんかこう、もにゃもにゃっとした気分になる。
というのも、「女子はこんなに辛いの」と男子に語ってくれるのは結構だけれども、ぶっちゃけそんな想いをしたことがないんだよね。だから「女子は」「女性は」とかくくられるとなんだか「あ、あれ?私も本来はそういう辛い想いをしなくてはならないのか?」的に思わされてしまうんだよね……なぜって、大抵こういう論に例えば「いや私はそんなこと思わないけど……」なんて反論してみれば、即座に「それは気付いていないだけ」とか「男に性的対象にされているだけなのに喜ぶビッチタイプなんだ」とか「今までが幸運だっただけでこれからきっと辛い目にあう」とか、そんなような言葉が返ってくるわけよ。(だからもう怖くてそういうのには「私は思わないよ」とは言わないことにしてるんだけど)これが地味に怖いんだよね。「女性として辛い目に会ってない私はおかしいのか」とかいう気に(そこまではっきりとは思わないけどももちろん)漠然となってくるんよ。「おかしいんだ。これからきっとあうんだ」「気付いてないってことはもしかして今までもそういう目に知らぬ間にあっていたのか?」ってほんと漠然とレベルだけどジワジワそう感じてくるんよ。でなんかそういう攻め方をされると、「不幸であらずんば女子ではない、不幸でないというなら貴女が鈍感なだけ、ビッチなだけ、幸運だっただけ」みたいなことになっちゃうわけで、こう漠然と「じゃあ私は女子である限り幸せにはなれないのか?」みたいな不安感が襲ってくるんよ。そういうプレッシャーを同じ女性からかけられるから、逃げ場もないし。だから近頃そういう女性による女性論を見るのが怖い。ていうかなるべく見ないようにしてるんだけど。そういうフェミ論みたいなのって、もう、大抵「女性は不幸なんだ、不幸なんだ」ってのをビシビシ押し付けてきて、希望が全く無い。別にそういう現実があるならあるでまだしも、「ならどうするか」って語ってる人ってあまりいないし。悲観的に締めて終わり。「これこれこうで女性は大変不幸で惨めですでも仕方ない」みたいな。そんな論聞いてどうしろっていうのさ……何て非建設的な。そんなもん聞きたいわけがない。「でもそれが事実なのよ悲しいけれど。受け入れないとだめなの」ってアンタの不幸を押し付けてこないでよ……って言いたくなる。
何かまとまりなくなってしまったけれど
最近こんな事を思っていた。
そんな事言われたらどんどんどんどん自分が女性であることがいやになるよ。
なんでそんな事ばかり彼女達が言うのか分からない。マゾなのか?意味分からん。
なんだかそういう論を見すぎて女性であるというだけでもう死なないとって気にすらなってきてしまった。
やだな。こうなる前どうやって考えてたのか思い出せない。
影響されてる自分もなんだか情けない。
あぁ、嫌だな。本当に嫌だ。
多分私はきっと、苦悩しなくたっていいんだよと言って欲しいのだろう
女でも普通に楽しく幸せに生きるのは可能ですよと言って欲しいのだろう
というかそうじゃないと何の希望もないじゃないか?
だったら死ぬしかない
でも死ぬのは嫌なんだよねやはり
考えて考えてはじけとんでなんかもう全て面倒になってどうでもよくなって
そしてまたループする。
中島義道の本よりきっついわー。やってられん。もう子供丸出しで言ってやる。女性による女性ネガティブキャンペーン大嫌い。やってる奴の口内炎をつついてやりたい。
http://anond.hatelabo.jp/20080127175729
君の言う定義だけが中島義道の全てじゃないわけだから……
まあそれはお互いさまな訳で。
暇だったら、引用するか、「こんなこと言ってた」とか書いてくれると話が広がる。
いや、そういう部分じゃなくて、違う部分のところが。
彼滅茶苦茶本出してるからなぁ。不幸論も読んだけど、ぼくがいいたかったのはああいうところじゃなくて。
まあぼくも彼の著作は5冊程度しか読んでないからあんまでかいことはいえないが
中島義道と一口で言っても色々あるからな人には
君の言う定義だけが中島義道の全てじゃないわけだから……
それは一面に過ぎない。
http://anond.hatelabo.jp/20071010214735
参考に。