はてなキーワード: かみさまとは
心理学的には精神的飢餓の原因が何かによる。それが解決できる場合とできない場合(もう取り返しがつかない場合)がある。
自覚出来てるだけ増田は偉いと思う。ただその偉さは苦しみを減らしてくれない、どころか増すばかりだろう。その意味でも更に増田は凄い。掛け値無しに凄い。オレなら耐える自信など毛ほども無い。増田で吐き出すくらいしないと本当にやってられないだろう。
ちなみに仏教的に言えば『救い』は無い。仏教は人を『救う』宗教ではない。執着からの『解放』を追究する実践が仏教であり、そこでは『救われたい』というそういう気持ち自体が既に解脱の妨げだから。まあ、世俗を離れ修行に生きれば代償行為的に最低限「人に迷惑をかけずに生きる」ことはできないわけではない。だけどそれは仏教の本来の目的とは違うな。解脱の目的は「他人を救うこと」であって「自分を救うこと」ではないからね。
思うんだが、増田のような人のためにキリスト教みたいな宗教があるんだと思う。あの宗教の「かみさま」の愛は、理論上のべつまくなし無限大だからな。増田には宗教人になる才能があると思う。ただ巷にあふれるインチキ宗教は、金取るばかりで何の役にも立たないからスルーで。いつかその気になったら教会の門を叩くと良いと思う。
ねこに、ほんきで爪をたてられたことはありますか?
ねこに、ほんきで噛まれたことはありますか?
ねこから、ノミをうつされたことはありますか?
ねこに、毛をさかだてて威嚇されたことはありますか?
ねこがあなたの枕元においた、首だけになったトカゲをかたづけたことはありますか?
ねこが血まみれでかえってきて、そとに落ちているバラバラになったハトをかたづけたことはありますか?
ねこの尿を、かたづけたことはありますか?
ねこのからまった毛を、ハサミとブラシでほぐしたことはありますか?
ねこが花びんの水をのもうとして失敗し、お気に入りのすべてのものを水びたしにしたことはありますか?
ねこが鉢うえの観葉植物をたべようとして、部屋をどろまみれにしたことはありますか?
ねこのにおいが家と服とにんげんのすべてに染みつき、ねこぎらいのひとから眉をひそめられたことはありますか?
ねこが道路でトラックにはねられ、内臓がはみだしてしんだのを火葬場にもっていったことはありますか?
ねこずきのひとへの、回答をもとめないしつもん。
ねこずきのひとへ。ねこはこういういきものです。ねこぎらいのひとへ。ねこはこういういきものです。
ねこのかみさまへ。あらゆるねこたちと、ねこをあいするひとたちと、ねこぎらいのひとたちに祝福を。
おわりに
ねこは、外ではどんな生きものでもおそってたべます。
ねこがひとりで生きていくとは、そういうことです。
にんげんは、大きすぎるのでおそわれません。
おとなしいねこ、をつくるためには、とてもとてもたくさんの食べものがひつようです。
あなたが、ねこに食べものと飲みものをあげるとき、
ねこが見えるところと見えないところでころした生きものたち、
そのすべてはあなたのものです。うけとってあげてください。
あなたが、ねこに食べものと飲みものをあげるとき、
ねこが吐いたり糞や尿をしたり子ねこをつくったりつぶれて死んでいたり、
そのすべてはあなたのものです。うけとってあげてください。
あなたが、ねこを外からむかえいれるとき、
ねこが仲間たちからもらったびょうきや、食いついてきたダニやノミ、
そのすべてはあなたのものです。うけとってあげてください。
あなたが、ねこをおかねを払ってなでにいくとき、
ねこがおみせのひとに受けとめてもらっている、
そのすべてはあなたのものです。うけとってあげてください。
いまではないばしょ、ここではないじかん。
そこには、かみさまと、かみさまのつくったらくえんがありました。
みどりと、みずと、ひかりにみちあふれたらくえんがありました。
だれもが、しあわせにくらしていました。
あるとき、このらくえんのかたすみに、さるたちがすみつきました。
さるたちも、ずっとながいあいだ、しあわせにすごしていました。
うまれるときにうまれ、いきるべきじかんをいき、しすべきときにしんでいました。
かみさまのきめたとけいにしたがって、しあわせにしあわせにすごしていました。
でも、あるとき、きがつきました。
ここには、じぶんとおなじかたちをしたものがいることに。
それはなんなのか。
さるたちは、きになってねむれませんでした。
かみさま、それはなんなのかおしえてください。
さるたちは、ねがいました。
かみさまは、ちょっとかんがえて、ことばをあたえました。
さるたちは、じぶんたちのとなりに、じぶんににたものをみつけました。
かたちがにていたものは、なかにあるものもじぶんたちににているようでした。
かれらとは、きずつけあうこともありました。
しかし、たすけあうこともできました。
ことばが、おおくのふこうをもたらしました。
しかし、それをたすけたのもことばでした。
そして、ながいじかんがたちました。
さるたちは、なんとかうまくやれるようになってきました。
さるたちは、ことばをたくみにあやつり、じぶんたちをふやしていきました。
しかし、どんなにふえても、さるたちはさみしくてしかたがありませんでした。
このせかいには、さるたちがみちあふれているのに、それでもさみしそうでした。
じぶんとにているものがそばにいるのに、やっぱりなにをかんがえているのかわからなかったからです。
ことばだけでは、みたされませんでした。
さるたちは、さらにねがいました。
かみさま、ほかのさるたちがなにをかんがえているのか、おしえてください。
かみさまは、ほかのさるたちのかんがえていることをわかるようにしてあげました。
さるたちは、おどろきました。
となりにいるおなじかたちをしたものは、じぶんとおなじようなものだ。
そう、ながいあいだおもっていました。
おばあちゃんがいて、おじいちゃんがいて、おとうさんがいて、おかあさんがいて。
あらそいもあったけど、それでも、そこにいるのはじぶんとおなじものなのだとおもっていました。
しかし、ほんとうはちがっていたのです。
となりにいるさるは、じぶんとはにてもにつかない、おぞましいかんがえをもっていました。
そのとなりにいるさるも、そうでした。
みわたすかぎり、だれもかれも、ちがうかんがえでみちあふれていました。
さるは、こわくなりました。
なにもしらなかったころは、あるがまま、なすがままにすごしていました。
ことばをしってからは、ことばをかわしたときだけ、となりになにかがいることをかんじていました。
そこには、よろこびもいかりもかなしみもありました。
さみしさもありましたが、うれしさもありました。
でもいまは、このせかいはおぞましさでみちあふれていました。
そしてさるはねがいました。
かみさま、じぶんとおなじようなおもいをもっていないものたちを。
このさるたちをほろぼしてください。
かみさまは、そのねがいをかなえてあげました。
さるたちは、みなきえさりました。だれもが、ちがうかんがえをもっていたからです。
かみさまは、さるたちを、がいちゅうていどにしかおもってなかったのでとくにかなしみませんでした。
そしておもいました。
つぎからは、ことばをあたえるのは、やめておこう。
と。
ほんまはあの状況が嫌なんです。かといって後輩には愚痴られへん。先輩も今が大変そうやから私がわがまま言うわけにいかん。他の担当の人たちに言うても、ただの愚痴の人やと思われるやろうし、
きっと私の悩みなんて考えても仕方のない意味のないことなんだと思うんです。
ほんまはもういやです。逃げ出したいです。でも先輩の前で、逃げ出したいなんていうわけにいきません。
でもほんまは誰かに気付いてほしいんです。もう、私も一杯一杯なんです。
いっつもわらっとかんと、って思うんです。多分、先輩と繋がりのない後輩達にとっては私が先輩で、
私が不安に思うことがあったら後輩にそれが伝染してしまうと思うから。でもそれするの、今は辛い。
昔は職場のあの人に会いたいだけで働いてて、毎日幸せでした。今はあの人に会うことよりも
仕事から逃げ出したいと思う気持ちのが強くって。
何日かすればこの気持ちは何らかのきっかけで上向きになると思います。
私には鬱病の傾向あるかも知れない、って時々思う程私は勝手な人間やから。
だからこそ他人にこんな愚痴聞かせるわけにいかんのです。
考えようにしようと思うんですけど、それもなんでかできません。思考が止まればいいのに。
ああ、笑うのしんどいよう。ほんまは頭ン中わやくちゃやねん…
みんなの役に立たなくてごめんなさい。何もできてないような気がします。
勝手に浮き沈みしてごめんなさい。自分のことしか考えてなくてごめんなさい。
あはは、またこいつら、くだらないこといってるよ。
それはちがうんだよ、しんじつをかいてやろう。
ほら、これがしんじつだ。
ん?つられてやった?ははは!ばっかだなぁ!
ずぼしだから、つられたことにしてるんだろうな。
どうして、まけたって、いえないんだろうなぁ!
かいしゃであれだけいじめられて、めだたなくて、
おんなのこにはきもいっていわれているのに、
ねっとではどうだ!ぼくはかみさまになれた。
ねっとは、ぼくいがいはみんなばかだとおしえてくれた。
どうして、みんな、ぼくみたいにかんがえられないのかなぁ!
あ、また、ばかないけんをかいているひとがいる。
ぼくのかいたことはようちだって。
ようちはおまえだ!ははは、ははは!
どうしようもなく、さびしいんだ。
どうしようもなく、いがいたいんだ。
さいきん、からだがおもいんだ。