元増田の主張に対して「そんなもんなくても人は幸せになれるよ」が反論として成立するには、元増田の価値観とは独立に外部から「幸せ」が定義できなくてはならない。なぜならそうでなければ「俺は元増田の主張こそが幸せだ」と定義されたら反論が成立しないから。つまり「元増田の定義する幸せとは別の幸せを定義することが可能でありそれは元増田の定義する幸せとは独立に元増田にとって良いことである」という命題を主張していることになる。「良いことでない」ならやっぱり反論が成立しないからね。その外部的な定義が何通りあるのかは知らないが、とにかく何らかの方法で定義された「幸せ」に至ればそれは元増田にとって良いことであると言っているわけで、その意味で「幸せになれればなんでもいい」と言っていることになる。
え…こっちこそ、横から勝手に論点ずらされてんなーと思ってたんですが… お疲れ!
「全く意味不明」で言ってることを理解できてないのに論点をずらされてるかどうかの判定はできるのか?不思議な思考だな。
そりゃ意味不明な理屈で論点がズレてんだから、論点ずれてんなーとは思うでしょう。何が不思議なの?何が言いたいのかさっぱり理解できない。お疲れ!もういいよ!
「意味不明」なんだったら、君が理解できてないだけで論点はずれてないかもしれないでしょ。「意味不明」とか「論点がずれてる」とかのワードも、あまり考えずに「お前ムカつく」...
バカにもらわかるように丁寧に説明するなら、 記載内容は理解できる。なので、論理がずれているかは理解できる そもそもなぜその記載内容が帰結されるのか、元の増田とお前の増...
元増田の主張に対して「そんなもんなくても人は幸せになれるよ」が反論として成立するには、元増田の価値観とは独立に外部から「幸せ」が定義できなくてはならない。なぜならそう...
途中はどうでも良いから読んでないけど、 「幸せ」に至ればそれは元増田にとって良いことであると言っているわけで、その意味で「幸せになれればなんでもいい」と言っていること...
「丁寧に説明しろ」とか言ったんだから読めよそこはw