1842年、松江藩の生まれ。本名は錦織加代。
父が錦織玄丹という鍼医者で、そのため玄丹お加代と呼ばれた。
戊辰戦争の直前、親藩だった松江藩を問責するため新政府軍が派遣されてきた。
松江藩は、家老の切腹など厳しい要求をつきつけられて憔悴し、
城下で新政府軍が乱暴狼藉を働くのにも手をこまねく有様だった。
そんな中で、新政府軍を歓待するために藩が用意した酒宴に、加代は酌婦として参加した。
酔った政府高官が刀にカマボコを突き刺して振り回したとき、
加代はそれを唇で受け止めたうえに「お酒も欲しい」と言ってのけた。
その侠気を気に入った新政府軍は、加代の訴えを聞いて軍規を引き締め、家老の切腹も取りやめさせた。
玄丹お加代は松江藩を救った女傑として今に名を残している。
が、この武勇伝は後世の脚色も多く含まれているともいう。
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