芸術という枠組みの中においては、どれだけ酷く残酷な表現があったとしても穏やかな顔でこっそりと許してしまう気がする
ただ、それは自分の中にあるぐじゃぐじゃと黒く汚く後ろめたいものをはっきりと自覚しているからであって、例え芸術だと理解はしていても許すことのできない表現がある、と断言する人々はあらゆるものに疚しい気持ちがないのだろうなと思う
嫌味でもなんでもなく、羨ましい
美しい人間を汚したいとか、傷つけたいとか、そうでなくとも単純に趣向を凝らしたセックスをしてみたいと思うようなことはないのだろうか
ないのだろう
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